憲法第九条を巡っての話し合い

以下は九条を巡ってのグループ内応答の要点です:

みなさん

池田さんから、個人メールで憲法についての長文が
添付されてきました。

すばらしい内容です。
今までの池田さんの政治的実践や憲法問題への思索が
一気に表された労作だと、わたしは読みながら思いました。

さっそく平和世界のWebsiteに載せさせていただこうと思ったのですが、
今の若者には長文だと、読んでもらえないような気がしました。

池田さんにもう一苦労かけて戴き、もう少し短くして戴けないかと
わたしは思うのですが、いかがでしょうか?

Websiteにアップする前にみなさんの感想やらご意見を戴けたらと思います。

Word版とPDF版を添付します。

大塚 卿之

2 Attachments

チョット立ち止まって・・現時点での私の改訂版(Word)

チョット立ち止まって・・現時点での私の改訂版(pdf)

ーーー

大塚さん、いろいろ有難うございます。
短くするというご提案、良く分かります。
やってみますが、どれくらいがいいでしょうかねー?
半分?三分の一?三分の二?それとも要旨のみで
うんと短くして、興味あれば原文参照みたいな形も考えられますかね。

それにしても大塚さん褒め過ぎていますよ、少し恥ずかしく思っています。
言い回しがうまくいってなくて読みにくい所もあるでしょうし、
表現作業というのは、ほんとに難しくて・・・・。
僕の所論のここはおかしいとか、ここは歴史的事実と違ってるよとか、
そして、ここはこう直すといいよねとか、様々な意見を頂くことを期待しています。
池田

ーーー

池田さん、大塚さん、みなさん

実際の疑問・反対意見に対する回答があって

大変良いと思います。「うんと短くして詳細

は原文参照」は名案だと思いますので宜しく

お願いします(ブログ転載させて貰います)。

追加ご一考をお願いしたいこと:

1.「丸腰対応」はむしろ非現実的で、いざ

戦争となれば原爆襲来又は原発破壊で日本は

核の冬で壊滅ではないでしょうか?

2.世界終末に二分前の今核・戦争を廃絶す

ることが人類・生類の最大・最緊急の課題で

それは日本の憲法と被爆国日本が核兵器廃絶

に決断・邁進することではないでしょうか?

(理想主義どころか最も現実主義であり、最

も正気・真剣・責任ある態度だと思いますが

どうでしょうか?)

Rosan O. Yoshida

吉田収・魯参

ーーー

魯参さん、貴重なコメント、有難うございました。

「二点についてさらに考察を・・」ということですが、

多分僕の文章だと魯参さんの指摘されていることが、

十分含まれていないのでしょう。その辺をもっと強く

文章中に出せればいいのですが・・・。

【今の状況は、憲法の言う「丸腰対応や戦争破棄で足れり」としているような悠長な場合ではなく、

現実は世界滅亡「二分前!」。核と(戦争破棄ではなく)戦争廃絶に邁進せねばならない秋(とき)。】

たぶん魯参さんはこの緊迫感をみんなに共有させたいのだろうなと思います(そう読み取りました)。

改憲派の言い分を論駁して、ともかくも「憲法を護持すること」、「憲法本具の理想主義をまもりたい」、

これを第一に念頭に置きつつ書きすすめたものですから、いわゆる守りに偏して攻めを忘れているのかもしれません。

とりあえず現状の文章で公開しておいて、さらに工夫してみるということでいいでしょうか?

他にもっといろいろご意見いただきたいですし、改憲派をつぶすには護憲派の我々自身の

理論を磨き上げる必要があると思いますので・・・。

重正先生も平和のための、みんなで切磋琢磨できる大きな研究所みたいなものの必要性を

どこかで提唱されていましたが、そんな大掛かりなものは無理として、

ネット上で活発に意見交換、研究できればいいなと思います。

ところで一つ質問です。「二分前」の時計は、米国のどこの研究者、大学が

設けている何という時計でしたでしょうか?とりいそぎ・・・。

いけだ

ーーー

池田さん、みなさん

世界週末時計についてはこちらをご覧ください:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E7%B5%82%E6%9C%AB%E6%99%82%E8%A8%88

トランプの人間性・言動で去年と今年で1分時計

が進められ世界の終わりまで最短の2分になりま

した。ICANフィンさんがいうように「小さな癇

癪」で核戦争が起きる可能性があり、そうなれば

核の冬になる可能性が大です。トランプは国連で

北朝鮮を壊滅させると言い、一般教書演説では北

挑戦を極悪と烙印を押すのに力を注いだそうです。

彼の精神状態・ロシアゲート・弾劾問題など追い

詰められた時の一人で決断・実行できる核ボタン

が非常に危険です(ニクソンはウォターゲートで

追い詰められた時俺は6千万人殺せると言ったそ

うですー勿論「死の商人:政軍産複合」も問題で

人類生類から離れた核・金字塔組織は非合理な物

になりました)。

イラク戦争が示すように嘘で戦争・破壊される事

から北朝鮮は核を手放さずトランプは従来のやり

方はとらない(核を許さない)というのですから

米・北朝鮮・韓国・日本・中ソの核武装・戦争の

危機は予断を許しません。一旦戦争になれば原爆・

原発攻撃は避けられず結果は想像を絶するもので

しょう。

丸腰とか九条は非現実というのは現実を知らず、

危機の根本解決を求めないということで、そのよう

な土俵で相撲してはならず、小利に騙されて大利

を失い戦争・破滅に動員されてはならないという

ことです。論理・論駁にはこの点を逃してはなら

ないのではないでしょうか?

ーーー

魯参さん

私たちの痛切な願いは、核の廃絶と戦争廃絶ですが、

例えば、僕の文章中で「侵略されればされっぱなしにはならないで戦うよ」といったニュアンスの表現をしており、

戦争廃絶どころか、「戦争しちゃうよ」というメッセージにも聞こえてしまう訳です。

その辺が舌足らずかな?とも感じているのですが、実際にどう表現するか難しいところです。

かといって、改憲派の人びとから「ほらやっぱり何にもしないで殺されるだけなんだ、不甲斐ない」

と捉えられかねないリアクションをすると、結果として護憲派の支持低下となるジレンマです。

その辺の実際に文章化する際の表現力、工夫。もう少し、考えようと思っていますが・・・。

相手の土俵で相撲を取ってはならぬ」という深い意味も思います。

しかし、私たちは劣化した現代の政治家相手に戦っている訳ですが、言葉を変えれば

詰まらぬ男を相手に喧嘩している訳で、つまらぬ人間相手の喧嘩はつまらぬものかもしれませんが、

しかし、そんな相手の土俵で戦わなければ、この国が今よりもっと戦争に近づく事を防げません。

釈尊はすべての人に悟りの世界を知ってほしいと思われたが、

その世界を理解できたのは魔訶迦葉尊者はじめ一握り。

そこで大衆のレベルに下がって説く必要上八万六千の経典が生まれた。

そんなことを聞いたことが有りますが、「核廃絶と戦争絶滅と人殺し道具の廃棄、

人類共存共栄そして喫緊の危機回避」という高度な最終目標をリフレインするだけでは

人類はまだ同調できない段階、従って、そのことを忘れずに今できる事、つまり、、

とりあえず彼らの段階にまで下がって、彼らの土俵の上で、時には彼らの論理を逆手に取ったりし

彼らに分かりやすい説き方で戦うのだなと思っていますが、

まだ魯参さんの真意を理解しきれていないかもしれません。

池田

ーーー

池田さん、みなさん

真摯なお考えを有難うございました。

どのように表現してどう説得するか

は本当に大切ですね。是非みなさん

の一言をお願いします。物言えぬ一

切生類の生死がかかっています。

SNS(社会ネットサービス:フェイ

スブックなど)での反響は大きいで

すので共に友の輪を広げましょう!

ーーー

池田さん

大変苦労かけていますね。賛成・反対と向き合ってのレポートとして、そのままで一応いいのではないか?と思います。

九条を巡る議論では憲法の前文にも13条にも帰らない議論のままでしたから、結局、日本国憲法から学んで私たちが変わっていこうじゃないかとはならなかった。そのことをふりかえる「てがかり」となります。

2015.9.19の平和安全法制通過のあとになって、第13条「個人の尊厳」が、九条の底流にあることに気付いています、最近になって前文をよんでの発言がでてきました。「すべて国民は~」は沖縄県民、被曝者、被災者は「国民(日本人民)」ではないのか?
軍事は「保障」し、人権は「尊重」することになっていないか?など「日米同盟」=改憲の次のステージの議論をはじめなくてはなりません。

結局アメリカの核兵器に依拠して国づくりを提起してきています。
「2分前」なのにね。

古川ひろすけ

ーーー

魯参さん、池田さん、

よこあいからで、ごめんなさい。

「侵略されたら」という言いかたは、きわめてアイマイなので、気をつけないと、

そりゃだめだよね、となってしまいます。

強盗戸締まり論も大同小異。

そもそも「侵略」を問題にするのは、国家を支配しているひとたちであり、

その支配者の側に立って、あるいは、そのひとたちに雇用されて、くらしをたてているひとたちで、

このひとたちの立場からすれば、

領土・領空・領海はぜったいに侵されてはならないのですね。

しかし、侵略ということばが、異民族(ないしは「外国」)の軍隊がこの日本国に

攻めこんで占領する(一部または全部を)ということだとすれば、

そんなことは、この列島でくらしている民草からすれば、どうってことない。

わたし自身は、1945年の9月にソ連軍が占領軍として入ってきて以来、

1949年の秋まで、ソ連占領軍と中国人の政府との支配下にくらしていました。

つまり、異民族の支配下にあったわけです。

日本列島はアメリカ軍を中心とした占領軍に支配されていました。

このばあい、「大日本帝国」という国家とたたかって勝った国家(複数)が日本の国土を

占領支配していたのだから、「侵略」とは言いません。

旧満州とわたしの住んでいた「関東州」についていえば、

「大日本帝国」の支配下にあった植民地が「解放」されたのだから、

これも「侵略」とは言えない。

しかし、このわたしが、異民族から、権力(武力をともなう)によって支配されているという点では、

侵略されているのとかわりません。

しかし、わたしは生命をうしなうことなく、ぶじに帰国しえています。

日本「本土」にくらしていたひとたちも、一部の旧軍人・官僚・政治家を除いては、

生命はもとより財産も強奪されることはなかった。

言いたいのは、一般の民草にとって、支配者がだれであるかより、

その支配者がどのように支配するかのほうが重大事だってことです。

ですから、国土を「侵略」されるなら、どうぞ御勝手にといっていればいい。

ちょうど、トルストイの「イワンのバカ」という寓話に出てくる三番目のむすこイワンの国のように。

ただし、占領者が理不尽なことを命じたら、その命には服さない。

また、生命をうばおうとしたら、抵抗する。

ただし、暴力はもちいない。

ガンジーの思想と行動は、「無抵抗主義」としか理解されなかったため、

あやまってつたえられてしまっています。

ガンジーが説いたのは、非道な命令には服従しないことであって、

けっして、「抵抗」しないことではなかった。

彼は、これを「ノン・アクセプタンス」と言っています。

「受け入れない」つまり「服従しない」ことなのです。

理不尽なことには抵抗する。ただし。暴力はもちいない(非暴力的抵抗)。

この思想は、アメリカのソローからはじまる「市民的不服従」の系譜につらなります。

わたしがいつもふしぎにおもうのは、総理大臣でも閣僚でもないふつうの庶民までが、

「国境侵犯」「侵略」なんてことばに接すると、たちまち、一国を背に背負っているかのような

口のききかたになるってことです。

民草は、あくまで民草であって、国家なんかとは無関係なはずなんですがね。

民草でありながら、国家とか国境とかにしばられた考えかた感じかたしかできないでいると、

いまのアベ政権のように、やたら危機感をあおるひとたちにいかれてしまうおそれがある。

警戒すべきはこちらのほうでしょう。

ひこ

ーーー

彦坂さん、

満州の方にいらしたんですね。何歳の時でしょう?

戦前の外地の空気をすっておられて、僕(1945年4月5日生)などより

戦争なるものをきっと体感されているのでしょう。

僕に質問してきた、恐らく護憲に疑問を持ち、改憲の方に傾いている純朴な青年が

あのような質問をしてきた場合、彦坂さんならどう答えを返されますか?

彦坂さんのご文章から想像して、以下のような感じかな?と勝手な作文を

してしまいましたが、失礼になるとお許しいただきたいのですが、こんなものです。

「侵略するならどうぞご勝手にといっていればいいんだよ。

問題は支配者がどう支配するかであって、戦前満州で支配される立場だった私も

生きて帰国できたし、命まで取られることはまず無いことだと思う。

問題は理不尽な支配が始まった時だ。その時には私も彼らの命には服しないし、

命を取ろうとしたら、抵抗するよ、何とかこっちは暴力に訴えないでね」

これで青年が果たして納得するかどうかです。

あくまで彦坂さんの文章を自分なりに読み取れた範囲の作文で、

もっと上手な説明をされると思うのですが、満州から生還された経験からくる説明は、

きっとそれを聞く青年に何らかの重いものを感じさせるとは思いますが、

果たしてこの説明で、武備すべきという考えに傾いている青年を護憲の方に

惹きこむことができるかです。

それからガンジーの「ノン・アクセプタンス」の話、有難うございました。

あまり調べないで文章化したものですから、勉強になりました。

「イワンの馬鹿」も、思いだしました。もう一度読んでみます。

とり急ぎ。

池田

ーーー

「国家」は仮構であり神話であり、

悪用する権力があり、悪用される

国民がいることを皆が肝に銘じて

おくことが必要を思い一文を草し

ました:

https://heiwasekai.wordpress.com/2018/02/01/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%83%BB%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%83%BB%E6%A0%B8%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1/

国家の構成要素である国土・国民・

主権のうち国民主権の為の公僕が

支配者になり独裁者にまで成り上

がることはクーデターであり国民

は決して許してはならず非協力・

否定すべきなのですね。国家の神

話を信じるから国家の権力者の神

話を信じて税徴収・徴兵・徴物資

・徴生命・徴生態等に応じるので

すね。

国家・国境・国権・国益などの名

目や悪用に騙されず人類・生類と

しての平和・平等・自由・自立・

連帯・協働をする秋だと思います

(戦争・核・基地・格差・貧困・

環境などに対する市民運動が勃興

しており、これは世界的な潮流に

なると思いますー日本は重要な役

を果たせると思います。)

ーーー

魯参さん

早速文章を拝読しました。

・・・

ところで、魯参さんの「枠組転換」は難しい言葉で書かれているので

すぐには理解できませんでしたが、何度も何度も一行づつ読んでいく

と、いかに精緻に書かれてあるかがわかりました。

特に以下の一文には、まったく共鳴します。

支配者は軍隊も戦争も必要だが被支配者には不要であるばかりか迷惑、害悪である。被支配者の大衆が真実に目覚め平和を求めれば金字塔構造も戦争も無くなる。支配者も広い世界、遠い子孫、高い価値にまで目覚めれば平和を望む筈である。支配者、被支配者共に自己中心の罪を反省し、全体健全、利益を考えれば戦争は起こり得ない。

ここまで行かなくては本当の枠組転換はできないとは思います。

でも、もう一つの方法としてこれまでの有史以来続いてきた

「国家悪」を「国家善」というような、180度転換した世界のために

つくす国がもしも生まれたならばどうでしょう。

現にある国家をなくして、世界連邦のようにするよりも簡単だと思います。

平和憲法が存在する日本ならば、その大役を十分果たせると思います。

それを最初に提唱したのが和田重正先生であり、その発想を引き継ぎ

発展させてくれているのが野村さんです。

「大衆が真実に目覚め平和を求めれば金字塔構造も戦争も無くなる。」

これはまったく同じで、今までの平和運動や環境保護運動などの

政治運動とは違って、第一に自己変革が必要だと思います。

いや、第一にというと順序がついてしまうようですので、第一に

ではなくて、「同時に自己変革が必要だと思います。」

それは苦しみの道ではなく、逆にワクワクする道だと確信します。

大塚卿之

ーーー

大塚さん

早速の反応・ご指摘有難うございました。

早速直しておきました。

自分>国家>世界連邦はこの順で現実的

可能性が高いでしょう(仮構性が少い)。

自覚・覚他の両方が必要だということで

しょうね。

ーーー

大塚さん、みなさん

禅センターへ行くために送信したの

ですが、個人>国家>国連といった

構成員(要素)と構成体(組織)と

の関係は一般論で個々の場合・問題

によって考える必要があるでしょう

ね。当方の投稿にアクセスしたのは

日本とドイツからでしたが、情報化

世界では世界世論調査は国家・戦争

・核力を多数決で否定できる可能性

がありますね(独裁者・国家エゴを

許さないという調査結果がすぐ出て

くるー国際>国家>個人となると)。

三人寄れば文殊の知恵にも餓鬼の痴

行にもなり、哲人政治も愚人政権も

出来ますね。五器官の争いのたとえ

北風と太陽のたとえの通り調和が強

制より良さそうです。

ーーー

魯参さん、池田さん、みなさん

1月31日は投稿がたて続きにあり、夜は月食があったりで
返事を書けないでいました。

以下のことが納得いかないのですが、魯参さんに
もっとわかりやすく説明して欲しいのです。
わたしは丸腰対応の方が現実的だと思います。
「丸腰対応」ではなく「圧力対応」ならばわかりますが・・・

> 1.「丸腰対応」はむしろ非現実的で、いざ
> 戦争となれば原爆襲来又は原発破壊で日本は
> 核の冬で壊滅ではないでしょうか?

その次の投稿には

> 丸腰とか九条は非現実というのは現実を知らず、
> 危機の根本解決を求めないということで、そのよう
> な土俵で相撲してはならず、小利に騙されて大利
> を失い戦争・破滅に動員されてはならないという
> ことです。論理・論駁にはこの点を逃してはなら
> ないのではないでしょうか?
>
となっています。
このことは納得いきます。

さらに魯参さんがWebsiteの内容:コンテンツのところに以下のように記述しておられます。

> 冷静・客観的に見れば日本国憲法は諸外国の憲法に増して先進的な

> ところを持ち、旧来の国家中心(自国中心・核戦争容認)・人間中心を

> 越えた地球主義・生命主義の憲法であり、将来の人類・生類・生態系

> などの為を考えれば日本国憲法は世界を導く先進的な憲法といえるで

> しょう。又「せせこましい、嘆かわしい」我見・我利(金・物・力)を

> 越えて人類・生類「一切を抱擁して無手勝流で解決する」無我・無欲

> (命・心・和)の覚醒・度胸・実践を示したものと言えるでしょう。

このことにもわたしは全面的に賛成です。

そうすると、最初の1が納得いきません。
書き間違えたのでしょうか?

大塚 卿之

ーーー

大塚さん、池田さん、みなさん

表現不足のようですね。当方は質問者

が丸腰で武器なしで戦う文字通りの事

として取り、そんな事にはならず原爆

か原発がやられます(戦争排除以外に

方法はない)という意味でした。大塚

さんは比喩的にとり国家として軍備を

もたないと取ったのですね。

核防衛・核戦争の世界では、そして真

理・倫理の立場からも九条が現実的で

あるというのも、従って無手勝流こそ

個人としても国家としても正々堂々の

生き方だということです。米国社会に

いて思うことは個人主義からお互いの

信用がないということ、根源の所で業

による恐怖心から逃れられないという

事ですー武器・軍備が必要なのは臆病

だからなのです、目先の金に頼ること、

拝金主義もそこから来るでしょう。

利己主義・三毒・業の根本問題を指摘

して、この問題解決を分かり合うこと

とその全体像(問題・原因・解決・方

法)の提示が「枠組転換」の理由でし

た。

ーーー

大塚さん、魯参さん、池田さん、みなさん、

いやぁ、みなさん、応答のスピードは、まさに現代SNS社会適応ですね。

わたしも池田さんの最後のメールにこたえる文章を書きかけていたのですが、

いまだに手紙時代のペースでしかうごけないので、とうていまにあいません。

とりあえず、ひとこと。

「丸腰」といった表現自体が不適当です。

封建制時代の「帯刀」に対応するのが「丸腰」ですからね、

この個人的な表現を国家の規模においてもちいるのは、

「戸締まり論」とおなじことで、「わかりやすさ」をねらった詐術です。

国家と国家との紛争が武力衝突になった状態が、クラウゼヴィッツの時代以後の

戦争の定義でしょう? つまり、政治の延長。いいかえれば、外交の失敗の結果。

この国家と国家とのあいだの衝突に対処するために国家が保有するのが「国軍」です。

「自衛隊」という名称は、創建当初の「警察予備隊」以来、「軍」という名称を回避するための詐術にすぎません。

国際的には、すでに、「日本国軍」と見なされているし、それにあたいする「戦力」を

すでに十二分にもっています(攻撃専用の戦力をすら)。

この「国軍」とは、あくまで、国家を、具体的には国家を支配している行政府(および司法と議会)を

敵対する国家の軍事的攻撃から「防衛」するために存在しているものですから、

論理的必然として、その国家のなかにくらしている民草を守るものではありません。

軍隊は民草をまもらない。これは、もう、21世紀の常識でしょう。

軍隊は民草をまもらないばかりか、軍事作戦の必要上、民草を平然と殺しもする。

作戦上の必要がないばいいですら、平然と、民草を「レイプ」する(このことばを、ここでは、ひろく象徴的にもちています)。

この事実は、先の第一次・第二次世界大戦のなかで明確に示されたし、

その戦後にも、依然としてかわらぬ実態をさらけだしています。

ひとつだけ、わたしたちのこの国家(当時は「大日本帝国」という名の)で現にあった事例を、

いまは亡き司馬遼太郎さんの語ったところから紹介しておきます。

司馬遼太郎さんは、1945年本土決戦に備える陸軍部隊の一員(久留米戦車第一聯隊第三中隊第五小隊の小隊長、陸軍少尉)として、栃木県佐野市に駐屯していました。

その部隊は、米軍が九十九里沖かどこかに上陸して東京にせまったときには、

迅速に東京へ移動して防衛戦に参加するという作戦任務をあたえられていました。

そのさい、あるわかい将校が、大本営から派遣されていた少佐参謀に質問した、

そういうばあいには、東京からの避難民が道路にあふれていて、

わが部隊の進行が妨げれれることも考えられます。

そういうばあいは、どうしたらよくありますか?

少佐参謀は言下に答えた、「轢き殺して行く」。

軍の立場としては正当な答えでしょう。

なぜなら、この部隊は、一刻も早く作戦地(戦場、このばあいは東京)へ移動しなければならない。

タイミングをはずしてしまうと、勝てるいくさでも負けてしまうからです。

ですから、戦闘のための最上の条件をつねに確保しておかなければならない。

これが至上命令であって、その障害となるものは、

たとえ自国民であっても、実力で排除しなければならないからです。

ところで、軍隊の侵攻に軍隊によって反撃しなければ、侵攻した側が勝利して、

その結果、国土は占領されますね。

問題は、その占領軍がどういう性質の軍隊がです。

たしかに、軍隊なんてものは、いつでもどこでもおんなじさという声はある。無視できない。

けど、いくらなんでも、21世紀のこの世界では、

アレクサンダー大王やチンギス・ハンの軍隊のようなふるまいは、たぶん、できないでしょう。

「大日本帝国軍隊」が南京でやったようなことも。

そりゃ、まあ、戦後もソンミはあったし、民族浄化もあった。

とはいえ、いまこの世界で、どの軍隊がどこでなにをするにしても、

この情報化社会のなかで、

そのふるまいを世界中のひとの眼からかくしとおすことなどできやしない。

という事実そのものが、じつは、抑止効果となっています。

けっして、たんなる理想論とはいえない。

だいいち、占領軍は、占領しているその土地の民草から支持されないと、

すくなくとも、致命的な反感をもたれないようにしないと、

占領そのものを順調におこなうことができなくなります。

ですから、「民心」を完全に無視することなど、いまでは、もう、できない。

国連などクソの役にも立たないとおもわれているけれど、

それでも、これができたことは大きかった。

かつての国際連盟にはなしえなかったことをなしえています。

ユネスコの人権をまもる活動も、

国際司法裁判所ができたことも、

たとえ核保有国とこれに追随しか脳のない日本国のような国家がくわわらなくても、

核兵器の廃絶を要求する決議が国連で可決されたことも、

これまでは予想もしえなかった大きな前進です。

いろいろと問題をかかえているし、イギリスの離脱もあったけど、

EUはまだ機能している。

人類は、確実にまえへ進んでいます。

それでも、なお、その軍隊が、かつて「大日本帝国軍隊」が南京でやったような

非人間的な蛮行をおこなうとしたら?

そのときは、わたしは、徹底的に抵抗します。

ただし、非暴力的手段によって。

あたまをつかえば、いくらでも、相手を麻痺させることくらいできます。

肝心要なことが、そのさい、ひとつだけある。

正規軍(いまの日本国でいうなら自衛隊)の支援など、けっして、あてにしないし、もとめない。

いえ、出動するとなったら、断固拒否します。

軍隊などに出張ってこられたら、事態は深刻に悪化しますからね。

戦後の大連で、旧軍の憲兵を中心とした軍人たちが、反乱をおこしたことがあった。

それがたちまち鎮圧されたのは、あの状況下ではむしろ当然であったけど、

問題はそのあとです。

そののち、日本人居留民に対するソ連軍と市政府の態度が急変した。

融和制作が一転した。猜疑の目で見られるようになった。

わたしらは、大迷惑をこうむった。

武器をとらないことと、抵抗しないこととは、決定的にことなります。

いまの安部内閣など、そもそも、米軍とUSに抵抗する意欲がまったくない。

精神的に完全に武装解除されている。

すくなくともこのわたしは、精神的には、完全に武装している。

とるべき武器の性質がちがうだけだ。

それに、魯参さんが正確に指摘しているように、

この日本列島の海岸には、さあ、いつでもどうぞ攻撃してくださいと言わんばかりに、

原発がずらりとならんでいます。

核攻撃などするにはおよばない。

通常のミサイルをこの原発群のいずれかひとつに命中させれば、

日本列島はたちまち壊滅する。

ミサイルを発射されてしまってからでは、遅いのです。

迎撃ミサイルの精度がいくら高くなっても、あれは確率論的精度であって、

理論上、100パーセントに達しない。

じっさいには、迎撃網をのがれたたった一発でも、

致命的打撃をあたえることができる。

核攻撃より、この事態のほうが、あるいは、高々度の上空での核爆発のほうが、

よほど現実的な脅威です。

この脅威をのぞくにはどうすればいいのか?

だれでもわかる常識的な答えを、しちめんどうくさい屁理屈でわからなくさせている

その政府のやりくちにだまされないで、クールなあたまで考えればすぐにわかる。

日本列島から、米軍基地も自衛隊の基地もぜんぶなくしてしまえばいい。

なぜかは、おわかりですよね。

そんなことできるのかっておもうのも、政府にたぶらかされている証拠です。

できる。本気でその気になれば、

とりうる非暴力的手段はいくらでもある。

核抑止がたんなる神話にすぎないこと、これも魯参さんが正確に指摘してます。

おなじように、基地がなければ、アメリカ駐留軍と自衛隊とがいなければ、

たちまち、北朝鮮や中国に攻めこまれる、あるいは、ミサイルをぶちこまれる、

と信じこんでいるのも、じつは、神話にすぎない。

かつて、松岡洋右という外交官がいました。

国際連盟脱退の立て役者だったからごりごりのミリタリストとおもわれていますが、

この彼が、じつは、独日ソ三国同盟を画策し、成功の一歩手前までこぎつけていた。

だれもまだ知らないけど、わたしの友人の歴史家がこの事実をあきらかにしている。

この同盟がもしできていたら、ソ連の満州侵攻はまぬかれえたかもしれない。

二国同盟(日ソ不可侵条約)より、こっちのほうが有効ですからね、三国同盟なんだから。

外交ってのは、なかのいい国家を相手にやるものじゃない。

敵対する相手国とこそやるものだし、やる意味がある。

いまの日本国の外交は、およそ外交のかたちにさえなっていない。

多少なりとも骨のあった外交官は、みな、追いだされてしまった。

官製の外交がヘタクソなら、民間外交で、という手もある。

しかし、これには、むろん、限界がある。

にもかかわらず、やらないよりはやったほうがはるかにいい。

もうおわかりのように、なにごとにも、これといった決定的な解決法がひとつだけあるってわけではないのですね。

とりうるすべての手段を、適切な時機をみはからって、適切に行使すること、

いつでも、どこでも、ただちに行使しうるように、そなえておくこと。

柔軟な思考こそが、あらゆる可能性を発見し、あらゆる手段を行使しうるおおもとではないかしら?

ひこ

ーーー

ひこさん、大塚さん、池田さん、みなさん

「国家」神話を悪用する権力簒奪者達に

騙され生贄にされる被支配者が目覚めて

権力の座から放逐し権力組織そのもので

ある金字塔体制を止める必要があります

ね。

権力の為の国家・軍備・核・軍備は被支

配者の物でないばかりか、簒奪され苦渋

を舐めさせられいることを本当に判って

大衆地震が自他一切の革命をする必要が

あります。自分達だけでなく差別・搾取・

殺戮被害者(難民・飢餓・貧困・災害・

基地・暖化・絶滅など)。

原爆に反対し、軍産複合跋扈を警告した

アイクの忠告が省みられない事は識者・

大人の不覚・怠慢・無責任でしょう:

 「製造されるすべての銃、進水されるすべての軍艦、打ち上げられるすべてのロケットは結局のところ飢えているのに食べさせられない者、凍えているのに着せて貰いない者からの盗みを意味している。軍備をしたこの世界は金だけを浪費しているのではない。それは労働者達の汗、科学者達の天才、子供達の希望を浪費しているのだ。現代の重爆撃機一機の費用はこうだ:30以上の都市の近代的煉瓦造りの学校:人口6万人の町に電力供給できる発電所二つ、素晴らしく近代設備のある病院二つ:あるいは50マイル(80km)のコンクリート舗装道路。戦闘機一機に50万ブッシェルの小麦を浪費する。私達は駆逐艦一隻に8千人を住ませる新築家屋を浪費する。繰り返して言うが、世界がこれまで歩いてきた生きる最高の道として見つけたものだ。本当の意味で、これは生きる道などで到底あり得ないものだ。襲い掛かる戦争の暗雲の下で鉄の十字架から吊るされた人類の姿だ・・・世界が生きる他の道は無いのか?。」(1961年1月17日に行われた、第34代大統領ドワイト・D・アイゼンハワーの退任演説の一節)

“Every gun that is made, every warship launched, every rocket fired signifies, in the final sense, a theft from those who hunger and are not fed, those who are cold and are not clothed. This world in arms is not spending money alone. It is spending the sweat of its laborers, the genius of its scientists, the hopes of its children. The cost of one modern heavy bomber is this: a modern brick school in more than 30 cities. It is two electric power plants, each serving a town of 60,000 population. It is two fine, fully equipped hospitals. It is some fifty miles of concrete pavement. We pay for a single fighter plane with a half million bushels of wheat. We pay for a single destroyer with new homes that could have housed more than 8,000 people. This is, I repeat, the best way of life to be found on the road the world has been taking. This is not a way of life at all, in any true sense. Under the cloud of threatening war, it is humanity hanging from a cross of iron. […] Is there no other way the world may live?”

ーーー

池田さん、大塚さん、古川さん、ひこさん

みなさんの往来をこのままブログに載せて

はどうでしょうか(いろいろ核心にせまる

点が出されているようですから)。

そして池田さんの再考案を出してもらうか、

これらを纏めて合作を提示するかしては?

ーーー

アインシュタインは米国訪問の湯川秀樹を訪ねて

部屋へ入る屋やいなや涙を流しながら、

「罪のない日本人を殺すことになって申し訳けない。」

と詫びたそうです。

「第三次大戦がどうなるか判らない、だが第四次大戦

は石合戦になるだろう。」と言ったそうですが、核の

冬と放射能は第四次はもはや無いのではないでしょうか?

「兵役拒否を2%の者がすれば政府は戦争を行えないだ

ろう。」とも。

軍備費比の税金不払い運動がありますが、20%の納税者

が拒否運動を起こしたら政府は瓦解するのでは、そして

大衆運動は世界に拡大するのでは?

0.01%の金字塔vs大衆の知恵・行動が求められますね。

ーーー

彦坂さん、みなさん

司馬さんの話はさすがに有名な話で知っていましたが、

満州帰りでいられるだけあって彦坂さんはいろいろ知っておられるなあと

改めて思いましたが、その分お知りになっていることのいわば“開陳”にはなるものの、

正直言って、それでは「僕らはどうすればいいのか?」の疑問にの解消にはつながらないで

頭が少々混乱してしまったのはボクの受け止めが悪いのでしょうか。

大所高所からの批評家になってしまわれているかの感じといったらいいのでしょうか?

批評ではなくて(批評も大事ではありますが)、変に改憲の動きが際立っている今、ボクは

為すべきは批評ではなくて運動だと思っています。

ボクの一文も自分のためであると同時に、要は彼らの勢いをこれ以上伸長させてはならぬ、

彼らの言う所の矛盾を明らかにし、何とも巧妙に、攻めやすく分かりやすい説き方で、

若い人たちを惹きこんでいる彼らの手法に習い?現象をある場合には単純化し、

まとわりついた装飾を取って心棒だけを浮き上がらせて

分かりやすく説かないと若い人たちに訴えないし、間に合わない、

その危惧の念からの運動をと考えてのことでもありました。

できるだけ速やかに、多くの人にその気になってもらって

3000万署名も集めなければなりません。

彦坂さんのご指摘のように、そもそも通常兵器での侵攻などあり得るかどうか、

海側の原発に数発打ち込めば、勝敗決するか、もしくは

双方、周辺すべて消滅なのですから、起こりえないことかもしれませんが、

しかし件の青年に「侵略なんてあり得ないよ」と言ったって、彼らは

「でも、来たらする?」という、多くの場合あくまで「・・たら話」で迫りそうです。

さらには「一介の市民のあなたがそう断定したって何ら責任ある発言ではないし、

根拠あるものと信ずることはできない。」

「狂った為政者ならなにするか分からないじゃあありませんか?さあその時にどうします?」

「その時に丸腰(丸腰という言葉を詐術として使うつもりはなく、

単に非戦主義の言い換えだったのですが、不用意だったでしょうか?)

主義のあなたたちは、隣で女性たちが乱暴されていても、戦争反対のプラカードを掲げて

突っ立っているだけなんですね?情けないと思いませんか」。

こう迫られることも予想しての、ボクのいわば苦肉の対応だった訳ですが、

ことほど左様に、護憲派批判はある意味、短絡的で単純かつ矮小と言えるかもしれません。

が、その土俵で親しく彼らとディベートし無い限り、

護憲派を伸長させることはなかなか難しいとボクは感じています。

とにかく文章を書く、表現というのは難しいもので、

誰かが大理石の固まりの中から一つの「像」を掘り出すに例えていましたが、

掘り過ぎたり堀り足りなかったり、僕の一文も欠陥だらけ。

皆さんにもっともっとご指摘願いたいものです。ハッキリ言えばイケダのこの部分が

気になる、ここがダメ、など言っていただければもっと議論が深まるかもしれません。

そんなこと思っています。もちろん大塚さんのように誉めて頂くのは正直嬉しい、というか

ああこれで良かったんだ・・・と半分自信にもなります。

池田

ーーー

池田さん、みなさん、

批評家というより評論家といったほうがいいのですが、わたしはそういう人物がダイッキライです。

その評論家のようにおもわれたとは!!

しかし、わたしの文章がそう読まれたとしたら、それは、そう書いたわたしの責任です。

つまり、わたしは評論家だった。

ところで、「たら「」れば」ばかりでは意味がない。

なにがおこるか、ほんとうのところはわからない。

そのときどうしたらいいのかなんて、いまのうちに考えたってわかりっこない。

いまのわたしにできるのは、自分がこれまで生きてきたその軌跡をしかとふまえて、

このさき、どのような事態にであおうとも、動揺したり、逡巡したりしないで、

そのときその場でもっともいいとおもう行動をとれるよう、

はらをくくっておくことでしかない。

あなたがであったわかもののようなひとにであったら、

わたしなら、そのときそこで、あなた自身がきめるほかないですよ、という。

なにをしたらいいのかを、おしえてもらおうとしてはいけないって。

「改憲」派ってのは、じつは「壊憲」をねらっているのですから、

いまの憲法をこわして、いまの憲法の精神を骨抜きにした、

自分たちにつごうのいい憲法をつくりたい一心なのですから、

かれらの土俵で相撲をとってはいけないと、わたしはおもいます。

わかりやすいはなしをすることは必要だけど、

わかりやすさを求めるあまり、ことを正確につたえないようではいけない。

なによりもたいせつなのは正確につたえることだとおもう。

また、具体的なことについて、具体的に語ることだとおもう。

「隣で女性たちが乱暴あれていても、戦争反対のプラカードを掲げて

突っ立っているだけなんですね」なんて言いぐさには、それこそ、

具体性のかけらもない。

だから、あなたならどうするのか?

と問いかえすべきです。

要するに、いろいろと言ってきたら、

そんなことなどわからないと答え

(じっさい、そのときその場にならなければ、自分だってどうするか、どうできるのか、

わからないのですから)、

自分のあたまで考えろ、と言うべきだとおもいます。

対等にむきあってくれているって感じてくれたなら、

わかものであろうがとしよりであろうが、

はなしあうことはできます。

そのさい、どうはなしたらいいのかなんて、その場にならなきゃわからない。

池田さんの言ってることはけっしてまちがってなどいないし、

ここをこうすればもっとよくなるなんてことも言えない。

池田さんは、あくまで池田さん流にやっていけばいい。

まよっていることはよくわかります。

しかし、あなた御自身がその答えを発見することになるでしょう。

ひこ

ーーー
魯参さん、

大いに賛成です。「うんと短くして(取り掛かり始めてはいます)、興味のある方は原文参照方式」もいいですが、

“合作”というのも面白いですね。

「自分ならここの部分をこう書く」「俺ならこう表現する」とか、いろいろ出てきて、護憲の思いのそれぞれの差異と

護憲にもこんなにヴァライアティーがあるということが、浮かんでくるのもいいと思います。

でも、“差異はあるけどみんな護憲で一致”ということでしょうけど・・・・。

池田

ーーー

本当に白熱教室になってきました。

本音を語り合えるっていいですね。

魯参さんも彦坂さんもjumpMLより、このML

の方が遠慮なく発言してくれているようで、

大いに学ばせてもらっています。

このMLでの発言は原則公開OKとなっていますので、

魯参さんが上手にブログに載せてくれて感謝しています。

大塚卿之

ーーー

魯参さん、わたしの勘違いでした。

池田さんの文章中にあることへの

返信として読まないで、ここだけが目についたので

「アレ?」と思ってしまったのです。

誤解や勘違いはこのように起こりやすいものですね。

国際紛争や戦争も同じで思い込みや偏見によって

取り返しのつかない事態に落ちってしまうことが、

一杯ありますね。

疑問は氷解しました。

ありがとうございます。

大塚卿之

ーーーーー

池田さん、みなさん

池田さんの最初の文章を読ませていただいてすぐに思ったことを二

つ言わせてもらいます。

今頃になって申し訳ありませんが、池田さんの個人的な立場で書か

れたのであのままで良いと思ったのですが、合作の話が出て来たので、私の意見を書きます。

一つは読んでもらう対象者を、改憲で固まっている人は外したほう

が良いのではないかと言うことです。

相手を説得すると言うのは骨が折れるだけで、なかなかシンドイも

のです。

憲法の重要さに無関心だったり、関心はあるのだが突っ込んで考えなかった人、あるいは迷っている人を対象にして、「ああそうだっ

たのか!」と納得してもらうことなら、割と楽にできるとお思いま

す。

もう一つは自衛隊についてです。

たしかに自然災害救助では活躍する場面もありますが、あれはあくまでも極めて少数部隊が地方公共団体からの要請を受けて、協力するボランティア作業であって、自衛隊の任務はあくまで軍事防衛が第一です。

私に言わせれば、毎日毎日人殺しの訓練をしているのです。

軍事力の恐怖を言わなくてはなりません。

クーデターだって自衛隊でなくては起こせません。

中国の天安門事件のように、いつ国民に銃口や砲口を向けないとも限りません。

自衛隊を憲法9条に書き加えることがどれほど危険なことかを示した

いと思います。

             大塚卿之

 

ーーーーー

 

             大塚さん、みなさん

予算・軍備・兵員などの世界比較から

第四位とされる軍隊になった自衛隊は

米軍と共同訓練・連携をしており、又

権力者・政官軍産財が利用して危機を

作り軍事費を増して福祉・教育など国

民・人類・種類・環境から盗み浪費し

ています。何時権力者に動員されるか

もクーデターを起こすかも分かりませ

ん。その金を防災・復興などに回すべ

きで災害時出動できるから自衛隊(実

は軍隊)は有難いというのは嘘であり

本末転倒ですね。

(こちらもブログ転載させて貰います)

 

魯参

ーーーーー

大塚さん、魯参さん、みなさん

マスコミで刷り込まれた感情で人々は動いています。
「戦後70年」のキャーペーンが「安保法制」を導き出しました。「憲法70年」キャンペーンが「共謀罪法」と「9条に自衛隊加憲」を導き出しました。「明治150年」キャンペーンが元号と美しい日本と言って「国家エゴ」を刷り込んで、「改憲国民投票」を導きだそうとしています。
憲法9条論議も「今だけ自分だけお金だけ」の人格に人々を落とし込んでいることに目をそらせたものとなっていることに警鐘をならしたいと思っています。

池田さんの文章は2015.9.19までは9条はどう論議されていたかと私は読んでいます。

9条の底流に13条(個人の尊厳)と前文とをあわせて議論しなければならない時代が始まっています。

さらにいえば2017.7.7をもって「いのちの尊厳」を底流に、日本国憲法のこころを学ばなければならない時代が始まっています。

核兵器は「悪魔」の兵器であることは日本では悟って9条「戦争放棄」がうまたと考えています。「核兵器」を「正義」扱いしてきた始まりがアメリカです。戦勝国はこぞって核兵器を持ちました。
2001.9.11では、アメリカは「戦争の21世紀」を拓いてしまいました。
9条は13条と前文と併せて読まなければ、辺野古も 災害復興も ブラック企業も 内部留保も 9条とは別の闘いとなっています。

13条で9条も闘いましょう。

「核兵器の終わりのはじまり」ためにー南極・中南米・南太平洋・東南アジア・アフリカ・モンゴル・中央アジアの非核兵器地帯ーにつづいて、北東アジアに非核兵器地帯をつくる構想が必要となってきています。日本はどう貢献しなければならないかを考えることを呼びかけようと考えています。

日本国憲法の前文・13条・9条は導きの指針となるでしょう。

アメリカの核兵器に盲従してきた日米安保から脱却しなければならない時がきていることが議論されることでしょう。

2018.2.14
憲法語らい場
古川ひろすけ

ーーーーー

大塚さん、よく指摘して頂きました。

自衛隊についてのボクの論述は、実は読み返すうち、そして

田崎末松氏(重正先生が小林多津衛氏に紹介された方のようですが、ご存知ですよね)の著書を読むうち、

まだまだ甘い論述だな、誤解も生じかねないな・・・・と思い始めていました。

今、気になる所を、皆さんの今までいただいたご意見なども勘案しながら、書き直しています。

長いものがも少し長くなりますが、とりあえず源原稿をいじってみて、

その後でもっとうんと短いものに取り掛かろうと思っています。

少しでもいいものにするために、またご協力下さい。

でもできるかなー。完成するかなー?そんな不安があったりします。

柄にもない事に取り掛かって、少しバテ気味だし、ともかく遅筆の上、

書いているうちに頭の中がこんがらがって来たりして、

ボクに取って作文作業はちょっとばかりストレス作業。

でも、やるだけやってみるぞ!今の内自分の頭だけでも整理しておかないと!の気持ちです。

                                  池田

ーーーーー

魯参さん、みなさん

原則論から自衛隊を批判していると相手の術中にはまってしまうという

危惧をボクは抱いています。「ほら、やっぱり彼らは自衛隊を忌避する人間だ。

あんなに災害復興で活躍してくれるのに・・。護憲派の連中は頭が固くて

彼らの言う事は相変わらずでしょう?ですから私たちの言うように“改憲”しかないのです・・・」

となる訳で、多くのあまり考えない人びと、あるいはちょっとは考える人びとでも

(そういわれたみれば、そうだよなあ・・・)となってしまうんではないでしょうか?

ボクは本当の気持ちは、本来の理想は軍の不保持ですから、

自衛隊は廃止して平和貢献隊とでもいうものを替りに作り、

日本という国自体がシュバイツアー、マザーテレサになるべき・・・という

重正先生の文章がありましたが、そんな気持ちを持っています。

それをストレートに言えば何を寝ぼけて夢みたいな…と言われるのが落ち。

現下の運動は、あくまで「改憲か否か」であって、

「自衛隊を認めるか認めないか」ではありません。

あるいは「自衛隊が違憲か合憲か」の争論でも「自衛隊の存否」でも全くありません。

自衛隊への国民の好評判という事態が現実に生じていることは事実としてまず認識し、

その国民感情ととりあえず共存しながら「改憲」感情を払拭していかねばならない、

なかなか込み入った複雑な闘いではないでしょうか?

その複雑な闘いの過程で徐々に、軍隊なるものが本来秘めている、

隠れた危険さを啓蒙して行くことをあきらめてはなりませんが、

正面からの自衛隊批判は反発摩擦を大きくし、

現下の状況ではその相手をするのは消耗するのみと思っていますがどうでしょう?

                     池田

ーーーーー

池田さん、魯参さん、みなさん、

カンジンカナメの問題点があいまいになっています。

「改憲」かいなかが問題ではなく、九条2項のうしろに「自衛隊」という名詞を書きこませるかいなか、

これが問題なのです。

「護憲」ということばをわたしはつかいませんし、わたし自身はけっして「護憲派」ではないけれど、

自衛隊を即時撤廃せよといった主張するほど「頭の固い」「護憲派」のひとって、じっさいにいるのかしら?

現にここまで「そだって」きてしまった自衛隊を、現実に、どうやって「忌避」できるのか?

きもちのうえでは忌避できても、じっさいには回避することさえできないでしょう。

自衛隊をどうとりあつかうかについて、わたしたちに、いま、必要なのは、

最低限、「集団的自衛権」の名のもとに海外での軍事行動へ派遣されるのを阻止すること。

自衛隊の軍事利用(「国軍化」)を、憲法によって合法化するという策謀を阻むこと。

このふたつが喫緊の課題であるとわたしは考えます。

そのほかのことは、じっくり考えていけばいい。

また、こういう問題を考えたり語りあったりするさいに、

「自衛隊」ということばでひとくくりにしないこと、

自衛隊という組織と、その具体的な活動やその隊員たちとを混同しないこと、

とりわけ、自衛隊の総指揮官である安倍総理大臣および自衛隊の幹部たちと

下級の隊員たちとをいっしょくたにしないこと、

こういう姿勢がたいせつだと、わたしは考えます。

ひこ

ーーーーー

魯参さん、みなさん

現下の状況ではその相手をするのは消耗するのみと思っていますがどうでしょう?

相手をする必要はないと思います。

現下の運動は、あくまで「改憲か否か」

でもないと思います。

たとえ、今回改憲を阻止できたとしても、同じ政治情勢が続くだけでしょう。

憲法問題を切っ掛けにして、核を廃絶し戦争そのものをなくす世界を作るにはどうしたら良いかの叡智を集める絶好の機会だと思うのです。

その叡智の一つに和田重正先生の提唱した国家エゴイズムを超え

た、新しい理想国家像があると思います。

軍備を完全に棄てたコスタリカという見本になる国がすでに存在し

ているのですから、日本も軍隊をもたず、何よりも世界の平和のた

めに積極的に貢献し、日本も世界の見本となる国にして行くことが可能だと思います。

すぐにそれが実現するわけではありません。

その理想を掲げることが何より重要です。

今までの国家というものは国益中心主義であったが、それでは核

戦争という人類絶滅に繋がる争いをなくすことはできないのであるから、国益を度外視した愛他精神の国を目指しましょう。という運動です。

子供でもわかる単純な道筋です。

             大塚卿之

 

ーーーーー

 

    先ほどの投稿を済まして、久しぶりに野村さんのブログを覗いて

見ましたら、なんと同じことが書かれてありました。

それを紹介します。

尚、ネホサとはネオ・ホモ・サピエンスの略語で新人類を

目指そうという願いを込めてあります。

http://oneall7.blog.fc2.com/blog-entry-702.html

ワクワクして生きる

先日、拙著『国の理想と憲法』のまとめとも言える「提唱 みんなで国に理想を掲げよう」という項を読み直していた時にあることに気が付きました。

それは提唱の最後の部分です。そこに僕は次のように書いています。

明るく楽しい気持ちで進めよう

最後にお伝えしたいことは、この活動はこの提案に「賛同する」人たちで進めていきたい、ということです。輝かしい日本の未来を想像し、ワクワクしながら「できるように、何とかできるように、そのためにはどうしたらよいか」と、明るく楽しい気持ちで希望を抱きながら、工夫し、努力していきたいものです。この態度こそ、この活動を進めていく上で最重要の姿勢だと思います。従来の考え方に囚われない、柔軟な発想を出し合っていきましょう。

要するに、ここに提案しているのは「国に理想を掲げるために、私のやり方に協力してください」というお願いではありません。そうではなくて、「みんなであらゆる知恵を出し合って、日本の国に理想を掲げ、やがて日本を国際環境平和国家にしていきましょう」ということなのです。

その中でも、僕は、特に、「最後にお伝えしたいことは、この活動はこの提案に『賛同する』人たちで進めていきたい、ということです。」という文章を提唱の最後にどうしても書いておきたいと思ったのです。

でも、その当時なぜどうしてもこの部分を入れたかったかということは、なぜかはっきりとは言葉で表すことができませんでした。

ところが、先日その意味がはっきりと自分に納得できたというわけです。

それは「この活動はこの提案に『賛同する』人たちで進めていきたい」という言葉そのものです。「賛同する」を「感動する」に変えればより明快かもしれません。

つまり、ネホサはネホサの提案に「感動する」人たちで進めていきたいということです。

ですから、ネホサの考えを拡げるために他と議論して他を説得して納得させるなどということは必要ないのです。

ネホサは、そもそも、そういうものではありません。

この提案を読んだり聞いたりして素直に感動して嬉しくなり、ワクワクして、その実現をこころから願いながら、楽しく日々の仕事や学習など生活を営みながら、思わず家族やできるだけ多くの知人にも知ってもらいたくなって本を紹介する、あるいは、ネットに自分の気持ち表明し、この本のことや考えを紹介する、ということこそ、ネホサの王道です。

ネホサに必要なものは素朴で、素直に感動するこころだけです。

ですから、人とああだ、こうだと、いつまでも議論を繰り返している人たちのことは放っておいて、ネホサはこの考えを人から聞いたり、本やネットなどで知って、素朴に素直に感動しワクワクして生きる人たちこそが活動の主役であるということです。

このことに気が付けば、このネホサの考えこそ、実現容易な、非常に実践的な提案だということが分かるのではないでしょうか。

まったく新たな気運を創り出す

まず国に理想を掲げることから

ワクワクするような国を創ろう

一人ひとりの平和を愛する心が活動の主体

明るく楽しい気持ちで進めよう

以上は『提唱』の中の小見出しですが、それらがすでにネホサの主張をはっきりと表していることにお気づきでしょうか。

野村さんの著書「国の理想と憲法」の中のまとめの部分は

すでに平和世界のwebsiteにアップされてあります。

https://heiwasekai.files.wordpress.com/2018/01/microsoft-word-e68f90e594b1e381bfe38293e381aae381a6e38299e59bbde381abe79086e683b3e38292e68eb2e38191e38299e38288e38186e585ace9968be794a8-do.pdf

             大塚卿之

ーーーーー

大塚さん、ひこさん、古川さん、池田さん、みなさん

「蟹は己の甲羅に似せて穴を掘る」と言います

が、甲羅にも穴にも制限されない心の自由自在

を得たいものです。

世界は大きく、人々も大きく動いています。核

破滅が何時来るか誰にも判らないのです。これ

をどう止めますか?

戦争は嘘・罪・否を発信している下記の翻訳記

事を是非お読み頂きコメントをお願いします:

https://wordpress.com/posts/globalethics.wordpress.com

もう深夜を過ぎ明日の坐禅への参加がありますの

でまた後ほどお目にかかります。

        魯参

ーーーーー

大塚さん、池田さん、みなさん

表現不足のようですね。当方は質問者

が丸腰で武器なしで戦う文字通りの事

として取り、そんな事にはならず原爆

か原発がやられます(戦争排除以外に

方法はない)という意味でした。大塚

さんは比喩的にとり国家として軍備を

もたないと取ったのですね。

核防衛・核戦争の世界では、そして真

理・倫理の立場からも九条が現実的で

あるというのも、従って無手勝流こそ

個人としても国家としても正々堂々の

生き方だということです。米国社会に

いて思うことは個人主義からお互いの

信用がないということ、根源の所で業

による恐怖心から逃れられないという

事ですー武器・軍備が必要なのは臆病

だからなのです、目先の金に頼ること、

拝金主義もそこから来るでしょう。

利己主義・三毒・業の根本問題を指摘

して、この問題解決を分かり合うこと

とその全体像(問題・原因・解決・方

法)の提示が「枠組転換」の理由でし

た。

        魯参

ーーーーー

彦坂さん、みなさん

○ボクがあの冗長な文章を書いたのは、自民党による「改憲発議➡国民投票」

という運動の進行がひしひしと間近に感じられた為でした。つまり「改憲か否か」を

迫られる時が近いと思ったからでした。だから僕にとってカンジンカナメの問題は、

やはり「改憲か否か」で、問題点はアイマイになっていないつもりなのですが、

どこかメール交換を混乱させていなければいいのですが・・・。

自衛隊明記とか自衛権明記とか幾つか案があるようですが、

ともかく現条項の変更も“追加”もそれは改憲であり、NO多数で否決されるようにというのが

ボクの作業の目的です。3000万署名も改憲NOの支持者獲得のため、つまり「改憲か否か」が

現下の、喫緊の取り組むべき問題なのではないでしょうか?

○自衛隊を即時廃止すべきと考える人は仰る通りいないでしょう。

ボクはそう言う極端に(頭の固い?)護憲派が居るとは言っていなくて

「いずれは、あるいは、本来は廃止すべきもの」と考える人はいるのではないでしょうか?

なぜなら、「違憲」なのですから。(もちろん廃止に当たっては慎重に、段階を踏んで、

最終的な形態をよく議論しなければいけないでしょうが)

○彦坂さんは言葉に厳格でいらっしゃって、そこが厳しいと思いますが、

護憲派とは、ではどう定義してつかっていらっしゃいますか?ボク自信は「改憲への反対が護憲」

という程度の使い方ですから、ボクは(護憲派)と自分を極めてシンプルに思っています。

ところが彦坂さんは自分を(護憲派ではない)と言われる。そのこころは?

多分もっと複雑な気持ちがあるのだろうと想像しますが・・・。

○いま必要なのは、集団的自衛権という名のもとに海外軍事行動へ派遣されることの阻止。

憲法へ明記による自衛隊の「国軍化」を阻止。というのは全く全く全く賛成ですが、

阻止する重要な第一歩が改憲阻止ですから、やはり「改憲か否か」が現下の大きな問題

と言えると思っています。

            池田

ーーーーー

大塚さん

「明るく楽しい気持ちでやりましょう。ネホサの活動を広げ、

他を説得して納得させるというような必要はないのです」という野村さんの言葉。

大切なことですが、ボクなど、改憲間近し!大変だ。!憲法が変えられてしまう。

国民投票に備えて、できるだけ“納得”してもらえるアピールを・・・と、

始めてしまったのでした。

「自覚と平和」中の「白道をいこう」の末尾に「この憲法の主要部分(前文と9条)の

改廃を許すならばこの運動は万事休す。」と重正先生。この一文にも影響されています。

しかし、本音を言い合って、それぞれの少しづつの差異が浮かんでくると、

自分の考えがそれだけ精緻になっていいですね。和して同ぜずで行ければ、

野村さんの言にまさに合致しますね。彦坂さんへの返信も参照してください。

                 池田

 

ーーーーー

池田さん
ひこさん
大塚さん
みなさん

「改憲ノー」が護憲だったり
自衛隊を書かせないのが護憲という議論はマスコミの誘導にのせられて行かれます。若者たちには保守と見れていました。

9条を「平和主義」とくくられいて、「戦争反対 9条守れ!」「戦争法反対」では、安保法制成立となりました。2015.9.19のあとの闘いは変わらなくてはなりません。

第13条「個人の尊厳」を保障するのが政府です。従って「戦争放棄・戦力放棄・交戦権の否認」(9条)の憲法です。この憲法を生かすのが「護憲」です。

アメリカの核兵器の抑止力を信じ、軍隊をつくることも、日本全土に米軍基地をおくことも200年新基地建設(辺野古)も要求されるままに約束し、北朝鮮の核ミサイル開発に「最大の圧力」を主張して、アメリカの最新戦闘機・ミサイルなどを日本が買い込み、韓国への売り込みに走っている姿にアベ首相が見えますがこれも良しとするのが「改憲」です。
核兵器を終わりにしようと世界で運動が始まっています。

あなたは改憲ですか?護憲ですか?と言う議論が必要です。

「前文あっての9条」は私たち憲法サークル(憲法語らい場)の一貫した主張でした。

改憲派の前文の主語は「日本国」とすることを見抜いかなければなりません。だから9条に「自衛隊」を書き込むことが提案されている。
個人の尊厳(いのちの尊厳)はどうなるんでしょうねーと考えてもらうことが今日の憲法論議でなければならないと思います。

「改憲ノー」の護憲に関しては2015年9月で終わりとすることが大事だと思います。
池田さんの文章はその時代の所産としてクギリをつけませんか?

新しい時点で共に再出発しませんか?

古川ひろすけ

ーーーーー

池田さん、大塚さん、古川さん、魯参さん、みなさん、

みなさんの議論のスピードに追いつけなくて、どのメールへ返信していいのかわからなくなって
しまっています。とりあえず、いちばんあたらしいとおもわれるこのメールに返信します。

「改憲」と「護憲」という分類は、日本国のマスメディアがかってにおこなっているもので、
ことをあやまたせるもとであると、すくなくともわたしは考えています。
なぜか?

いま安倍総理がやろうとしていることは「改憲」では、けっして、ないからです。
「改憲」というからには、いまある憲法を「改める」のでなければならない。
ところが、安倍氏の意図は、そこにはなく、いまある憲法を廃絶するところにあるからです。
廃絶して、では、なにをしようとしているのか?
すくなくとも世界中の大半のひとたちが「憲法」ということばのもとに理解しているものとは、
まったくことなるものを、あらたにつくろうとしているのです。

この意図を象徴している安倍氏の発言があります。
「憲法」とは「国のかたち」をきめるものだという発言です。

このひとことだけでも、じゅうぶんに、安倍というひとが「憲法」とはなにかを
まったく理解していないことを満天下に公表したと言えるでしょう。

根底的なちがいがどこにあるか?
このわたしをふくめ世界中の大半のひとたちが理解している「憲法」とは、
「たみくさ」が為政者を縛るための道具です。
安倍氏がつくろうとしているニセ「憲法」とは、
為政者が「たみくさ」を縛るための手段です。
目的が正反対なのです。

いま、わたしたちがもっている「日本国憲法」が邪魔になったから、
難癖をつけて、これをぶちこわし、自分たちにとってつごうのいい法律を
あたらしくつくろうというのが、安倍氏を中心とする勢力なのです。

ですから、彼らの目的は「憲法」の「改正」などではない。
「改正」と見せかければ通りがいいからそうしているだけです。
本音は、「日本国憲法」を廃絶することにある。
しいて名付けるなら「日本国憲法」を「壊滅」させること、
「壊憲」です。

いっぽう、いまわたしたちは、現にもっているはずの「日本国憲法」を活用しきれていない。
「日本国憲法」のなかのたいせつな条項が、いつのまにやら、なしくずしに、死文と化せられて
しまっているのに、そうしている政治家たちの策謀に有効に抵抗しえていない。
つまり、「日本国憲法」を活かしきれていない。
いま、必要なのは、だから、「護る」という受け身の姿勢ではなく、
積極的に「活用」し、現実に生きたものとすることではないか?

「護憲」という表現にわたしが抵抗するのは、
たしかに、マスメディアの策謀におどらされるなというきもちもあるけれど、
根底的に、「日本国憲法」は、いま、わたしたちが「護る」のではなく「活用」すべきであると
考えているからです。

「憲法」といえども、人間がつくったものである以上、
人間の手で変えことができる。
こんなことは、理の当然です。

フランスでも、第一共和国から第五共和国への道程にあって、
いくども「憲法」を変えてきました。
ただし、共和国の根本理念を表現している文章は、
けっして変えていない。

アメリカ合州国憲法には、多数の条項が付加されてきています。
そのときの状況に応じて必要な修正をおこなってきているのです。
しかし、ここでも、建国の根底的な理念を表明しているところには
まったく手をふれてはいない。

カンジンカナメの理念そのものを覆そうとしているのは、
世界中で、たれあろう、日本国総理安倍氏ただひとりです。

それにねえ、内閣総理大臣には、そもそも、「憲法」をいじる権利などあたえられていない、
どころか、現「憲法」を「尊重し擁護する義務」を追わされている(第99条)のですよね。
その内閣総理大臣が、たとえ「改正」(内容を正しくあらためる)についてであろうが、
みずから発議することはゆるされていません。

変えようと言いだす権利は、「たみくさ」にあたえられている、
「たみくさ」にしか発議する権利はない。
「国会議員」はこの「たみくさ」の代理人としての資格において
発議権があたえられているけれど、そこには、厳重なしばりがついている(第96条)。

安倍総理大臣が、内閣総理大臣として、閣議で発議することそれ自体が
ゆゆしい憲法違反の行為なのに、
彼は、いとも平然とその違憲行為をやってのけ、
マスメディアはこともなげにその行為を追認し、
「国民」はその行為が違憲であることにさえ気がつかないでいる。
これが、いまの、わたしたちのこの日本国の
おそるべき現状です。

さいごに、わたしの具体的な主張を。
「日本国憲法」の第1章は削除し、現第9条を第1条にする。
ほかにも、「国民」という表現を削除して「人民」とする。
「国籍」にかかわりのある「日本国民」という表現を廃止して
「日本にくらすひとびと」あるいは「日本住民」とする、などなど、
変えたいところはあります。
そういう意味では「改憲」論者です。

ただし、このいま、安倍内閣がおこなおうとしている
「日本国憲法」廃絶の策謀には断固反対する。
したがって、わたしの「本音」はいちおうひっこめて、
「護憲」派といわれるひとたちと手をむすんでいるのです。

さいごのさいご。
「派」という表現にはわたしは抵抗を感じています。
「派」というからには、おおもとがあって、そこからわかれているってことになる。
そんな「おおもと」における共通性など、わたしは、けっしてみとめていない。

ひこ

ーーーーー

ひこさん、古川さん、池田さん、大塚さん、みなさん

安倍の意図は憲法(心臓の戦争・戦力放棄、その結果

基本的人権尊重、主権在民)を否定・破壊する事です。

次の記事に対する当方コメントを引用させて貰います:

マッカーサーは共産主義の拡大阻止の為に日本に協力させようとしたの

であり、ソ連崩壊で米ソ冷戦は米国の世界支配が行き渡りその弊害が出

ている(アフガニスターン、イラク、リビアなどの国家破壊、北朝鮮・

イランへの戦争姿勢など)。安倍政権の憲法敵視政策は戦争法・秘密法・

共謀法など強行成立で憲法破壊を行っているが究極目的は憲法の心臓で

ある九条の破壊であり戦力保持・戦争承認である。これは趣味どころか

原爆の被害日本国民のみならず世界中に惨禍を与えた世界の為に戦争・

戦力を放棄し、理想の先頭に立とうと決心し守って来た憲法を放擲する

という国民・人類・生類への挑戦・執念である。自衛隊は世界第四位の

軍隊でこれを九条に明記することは(特殊規定・変更規定優先の法理)

戦力不保持を否定することである。従来の集団的自衛権否定を反故にし

ようという戦争法などは戦争放棄を破棄しようというものである。

自衛隊明記の安倍改憲 それで自衛官の士気は高まるのか

「改憲」「護憲」「壊憲」や自衛隊明記・2項存非など

あるいは「丸腰」「戸締り」論などの特殊・細目に引き

こまれて根本(核・戦争・軍備などの是非)が忘れられ

て問題の本質を失うおそれがあります。核戦争・終末2

分前で「戸締り」などの目的・価値・損害等どうなのか。

核・戦争・軍備などは誇大妄想・被害妄想・嫉妬妄想

(エゴ妄想・憎悪・貪欲・:  ・貪・瞋の三毒)の業

からの病患でこれが世界を毒しているのだと思います

(「自分だけ今だけ金だけ」もそうですね、戦争の愚・

狂・苦・損は測り知れません:スワンソンの先送論文)

 

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