「国家とは人間がつくったもの」

おおむかし、わたしたちが、いま、くらしているこの列島が、大陸からはなれ、あいだに海をはさんだ島々になったころ、この島々にくらしていたひとたちは、みんなで力をあわせ、山で木の実をひろい、けものをとらえ、海で貝をひろったり魚をつかまえたりして、みんなでわけあって、たべていました。

畑や田をたがやして、大根(すずしろ)や芋や米をつくるようになったあとでも、そこでとれたものは、みんなでわかちあっていたのですね。

ひとびとがたべるものをひとりじめに(私有)したり、ひとびとをおさめ(支配し)たりするひとは、まだ、いませんでした。空気も水も土地も、だれかひとりのもちものではなく、みんなが息をすったり、のどをうるおしたり、米や野菜をつくったりすることのために、自由につかっていたのです。

そとから見たすがたによって、ひとは、それぞれ、おとこ、おんなとよばれ、また、としかっこうによって、あかご、こども、おとなとよばれるようにもなっていました。こどもがおおきくなればおとなになって、おとうとおかあになり、そのおとうとおかあとが、としをへれば、じじいとばばあになっていきます。じじいとばばあがこの世からいなくなったあとは、そのむすこやむすめたちが、そのむすこやむすめたちがじじいとばばあになって、やがてこの世からいなくなれば、そのむすことむすめが、つまり、さきにいなくなったじじいやばばあのまごたちが、あとをひきつぎました。

そのひとたちが、こうしてのどかにくらしていた島々に、大陸から、ひとびとの知らない武器をもつひとたちがわたってきて、ひとびとをしたがえるようになりました。そのせいで、ふつうのひとびとよりもっとつよいひとたちがうまれ、その、よりつよいひとたちが、よりよわいひとたちをしたがえるようになりました。

このようにして、うえのひともしたのひともいなくて、だれもが、おなじようにくらしていたひとびとのなかに、よりつよいひとがあらわれ、そのひとが、たべものや、たべものをつくる土地を、ひとりじめにするようになりました。

ふつうのひとびとは、この、よりつよく、たべものとたべものをつくる土地をひとりじめにしているひとから、土地をつかわせてもらい、土地をたがやして作物をつくり、その土地からとれたものをすべて、土地をもっているひとにさしだして、そこから、ほんのすこしの作物をわけてもらって、うえをしのがなければならなくなっていきました。

こうして土地をひとりじめにしたひとたちのなかからも、よりつよいひとたちとよわいひとたちがでてきて、よりつよいひとたちが、よりよわいひとたちをしたがえるようになっていきます。そして、よりつよく、より多くの土地とひとびとをしたがえるひとたちが王とよばれるようになり、そのなかでいちばんつよい、いちばんたくさん、土地とひとびとを手にいれたひとが、王のなかの王、つまり皇帝とよばれるようになりました。この「おおやしま」では、とくべつに、天皇という名でよばれるようになったのです。

皇帝や天皇は、ひとりじめにした土地とそこで作物をつくるひとびとを、自分のもちものであると見なすようになっていきます。べつな言いかたをするなら、ひとびとと土地ををしたがえる(支配する)ことになります。ここからさきは、あなたがたがようっく知っておいでの「歴史」というものがたりになっていきます。

わたしは、なにが言いたいのか?
国家とは、天地創造とともにある自然なものではなくて、人間がつくったものなのだということを、このいま、あらためて知ってほしいとおもったのです。ほかでもないこのいま、そのことを知ってほしいとおもったのは、この国家というものが人間の手によってつくられたものであるのなら、人間の手によって、なくしたり、変えたりすることができるのだってことを、あらためて、このいま、考えていただきたいからです。

いま、わたしたちが、自然とおなじように、はじめから、いまあるようなかたちであったかのようにおもいこんでいる(おもいこまされている、と言ったほうがいいのかもしれませんね)この国家とは、人間の歴史のながれからすると、「近代国家」というかたちのものです。そして、このかたちは、いまから、せいぜい200年ほどまえにつくられたものにすぎないのです。

近代国家は、じつは、この地球上のほかの諸国家から認められ(承認され)て、はじめて、国家でありうるのです。たとえば、「イスラム国」と名乗りをあげたけど、ほかの、すでに国家としてたがいに認めあっている諸国家から承認されなかったあの機構は、すくなくとも、近代国家の概念にはあてはまらなかった。

近代国家にあっては、ほかの諸国家から国家であると承認されるためには、まず、一定の領域をわがものとしている(専有している)のでなければなりません。これは土地(領土)と、その土地のまわりの、あるいはその土地に面している海(領海)と、その領土と領海のうえの空(領空)とをふくむ全体です。

つぎに、その土地にずうっとすんでいて、そこでくらしをたてているひとびとが、その国家に、一時的にではなく、また、好きだからいる、いやになったから出ていく、といったありようで、ではなく、ずうっと(恒久的に)所属していなければなりません。

第三に、その国家をたばねおさめている権力(支配権力)が、はっきりときまっていなければなりません。主権という法律用語はそのことを指示しています。この権力とは、物理的な力のことです。つまり、はむかうものを、暴力によって排除ないしは抑圧できる力です。

だれもが、はっきりと、このことを理解しているわけではありません。が、漠然とはわかっていますし、そんなこむずかしいことをわきまえていなくても、あるひとつの国家のなかでくらしていることはできます。

ただ、たとえば、日本国の領海にほかの国家に所属する船がことわりなしに入ってくれば「領海侵犯」になります。航空機のばあいなら「領空侵犯」です。そのばあい、その国家がもっている「自衛権」が発動されます。具体的には、海軍の軍艦が、あるいは空軍の戦闘機が、まず、警告を発し、おとなしく言うことをきかないばあいには、相手の船を沈めたり航空機を撃墜したりすることも、世界中の諸国家のあいだでのとりきめ(国際法)のうえでは正当な行為と見なされます。

日本国のばあいは、総理大臣が日本国軍隊をつくりたくてうずうずしてはいるけれど、まだ生きている憲法が、陸軍も海軍も空軍も、およそ軍隊と呼ばれるものとそれに必要な装備=武器弾薬(戦力)をもつことを禁止していますし、国家がほかの国家とのあいだに戦争をはじめる権利(交戦権)をうばっていますので、事実上は、すでに、世界有数の強力な軍隊をもちながら、憲法上のこの制約によって、法的には、これを国軍(国家の所有する軍隊)に昇格させることができないでいます。

だから、この憲法を変えて、いま現にある軍隊を法的にも正式に認められる国軍にしようというのが自民党の悲願でした。しかし、依然として、憲法のなかでも戦力不保持を明記している第9条第2項を変えることには「国民」の同意がえられそうにないという情勢のもとで、安倍総理がうみだした苦肉の策が、第2項はそのままにして、ここに「自衛隊」という3文字をなんらかのかたちでしのびこませよというおもいつきでした。

ただし、この過程では、「国を護る」とはどういうことか、という根本の問題についてはいっさい論議がなされず、というより、より正確には、安倍政権が意図的に論議を回避したまま、あたかもこれを公理ででもあるかのようにあつかっている、という特徴が顕著にうかがえます。

このインチキを見のがしたままで、憲法を変えるのか変えないのかはもとより、自衛隊の存在をみとめるのかみとめないのか、自衛隊という3文字を憲法に書きこむのか書きこまないかなどといった議論をくりひろげることは、およそ、根本的な前提を「隠蔽」したままにしておく安倍政権の策謀にのせられ、用意されたその土俵のなかでだけ相撲をとっているにひとしい結果になってしまうのではないでしょうか?

もとにもどって、原理的に考えてみませんか?
「侵略」という行為、具体的には「領土・領空・領海」を「侵犯」するという行為が発生するそもそもの前提となっているのは、「領土・領空・領海」の存在です。具体的にこれを象徴しているのが「国境」ですね。この国境をなくしてしまえば、そもそも、国境を「侵犯」するという行為自体が無意味になってしまいます。

国境は国家に必然的に付随するものですから、国家をなくしてしまえば、そもそも国家の領域をめぐるあらゆる紛争はその根拠をうしないます。ただ、このいまの世界史的状況が根本的に変化しないかぎり、、一挙にすべての国家をなくしてしまうことは、たとえ理想ではあっても、現実にはほとんど不可能です。

しかし、国境は、なくすことができないまでも、無効な存在にすることはできるでしょう。具体的には、旅券とヴィザとを、もっと具体的には、入出国検査を廃止することです。すでに、ヴィザなし往来は一部実現しています。これを世界的に拡大することは、けっして夢物語ではないはずです。

国境紛争の重要な原因の一つは経済的権益の独占とこれに対する開放要求ですね。具体的には「経済水域」などといった名称の領域が「領海」よりもっと広く設定されていることが、問題の解決をややこしくしている、あるいは、妨害しているのですね。この種の紛争は、交渉によって解決可能です。おたがいにソンをしないですむ、相互の利益になるような条件で交渉を妥結させることは、外交交渉のうえで、そのほかの交渉にくらべればはるかにたやすい部類に入るでしょう。

以上がこの文章です。

もうひとつ、池田さんが危惧していることについて、わたしなりに考えていることを、
そのうち書こうとおもっています。

要するに、いまあるこの憲法は、風前の灯だってことです。
国民投票が実施され、
インチキ「改正」案が多数票を獲得し、
現憲法が廃絶されてしまう、
というおそれは、
たんなる危惧の域をこえていますから。

いま喫緊に必要なのは、まさん、
池田さんが力説している、
いわゆる「改憲派」による「護憲派」への
非難にどうこたえるか、です。

ひこ

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