生存権の保障か尊重か?

「基本的人権の[尊重]」と言って久しい。

第25条では「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に務めなければならない」とあります。生存権を国に保障させるのは国民の権利です。

「保障」ではなく「尊重」とするとどうなるでしょう?
所得の最も少ない10%の層である「一般低所得世帯」に合わせて生活扶助基準を決めるということが「尊重」だ と政府はいいます。

日本の貧困ラインは

1999年 157万円
2004年 151万円
2009年 140万円
2014年 133万円

と下がってきているとと言います。

安倍総理は「一般低所得世帯の消費の実態と生活保護基準額との乖離を是正する」という。尊重するとは扶助費の年々「カット」という形で現れています。

貧困ラインを上げ貧困打開するこそが生存権保障でしょう。アベノミクスの成功なら貧困ラインがあがる筈だが下がるのは失敗の証拠でしょう。

軍拡と大企業優遇については「保障」となっているでしょう。
これは消費税値上げ・社会保障費削減となります。99%の血税を吸い上げて1%を肥やす格差拡大のダメノミクスでしょう。

北朝鮮の「先軍政治」と同じことではないか。

危機と戦争を煽り、核戦争・核破滅に向かう独裁政治か?

個人の尊厳・生存権の「保障」の道こそ、
隣国との友好と平和を求めることになります。
日本国憲法はその立場でしょう。

憲法語らい場
古川ひろすけ

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