日本大衆の憲法(13条):一切衆生の憲法(前文と九条)

みなさん

私は2000年来、憲法サークルをつくってきました。「前文あっての9条」と言って前文・9条の英文付リーフレットも開発もしてきました。

注意しなければならないのはpeopleの「日本国民」という訳です。

「日本大衆」ならば全うに学ぶことができたでしょう。
日本民族と読む者には全く前文を理解できません。彼らは国のかたちを「天皇をいただく」とすでに変えた改憲案をもったうえで、9条改憲と言っています。

私は2007年の憲法還暦記念日には「前文」を掲載することを全国紙・地方紙各社に要望書を送りましたが、一社も応えてはくれませんでした(赤旗も)。大きな網を掛けられていることを感じたものです。

池田さんの文章にも
日本国憲法(前文)からともに9条を考えてみませんかと改憲派には声をかけていません。護憲派もこの大きな網にかけられているとしか思えません。

前文を読んで初めて和田重正先生や、「国の理想と憲法」(野村昇平)の世界となれます。
だからせめて2015.9.19以降は、第13条(個人の尊厳)から9条改憲問題を考えようじゃないかと言っています。

2017.7.7以降はアメリカの核兵器の前で国のかたちを天皇をのこしてアメリカ隷従としか考えてこなかった自民党がある。

日本国憲法からはまわりの国々といかに仲良くしていくかしかないのです。
主権を維持しアメリカの悪魔の兵器をきっばり拒否するしかありません。

北東アジア非核兵器地帯の中核に日本がならなければなりません。

核兵器廃絶署名を先行させながら3000万署名をしなければ「アベ」への軽蔑の波動とおもわれて99.99%の団結にはなりません。

大衆が二分することになれば必ず負けます。(安保反対闘争が憲法実現とは無縁でした。いまや日米同盟ですよ)

2018.2.28  憲法語らい場  古川ひろすけ

 

註:「日本大衆」については、People をどう訳すかで「国民」は「国家〔権力)」に利用される惧れがあり、「民]には「目を潰された者」の原意が付いて回るので「大衆」はどうか、しかも元来の「ダイシュ(ゥ)」とすれば重厚感があるという討論がサークル内でありました。「池田さんの文章」とは本サイト掲載の「ノンポリ市民の憲法論」のことです。

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