憲法九条に自衛隊追加の問題

(下記はmirokuMLより転載)

みなさま

首題について平和世界ホームページの憲法問答の問16に文言を加え、さらに問17を追加しましたので時間のある折にご覧ください。
以下はFBの憲法に不備があり、安倍壊憲より、今の不備を治して百年後も通用する憲法をという議論があったので以下の様にコメントをしました:
世界大戦・核戦争惨禍(その予測:世界破滅)の経験・文化思想の伝統などによって成立した平和憲法(平和なければ主権・人権も保障されない)は宗教(特に仏教:十戒でも神より先に不殺生・不窃盗・不妄語などある)の理想の通り本来は非暴力平和主義(普遍的真理・倫理により達成)で自衛戦力・戦争も認めないものだと思います(自衛の為に全ての戦争は行われ、戦力は防御にも攻撃にも使われるものですから、これを認めると世界第四位の軍隊:自衛隊でも合憲と一部に認められることになる訳です:客観的に見れば自衛隊はレッキとした戦力で九条二項に違反するものですから憲法学者大多数は反対しているが、この故に自衛隊を二項と並べて追加ということは世界の笑いモノでしょう。だから石破の反対は客観・合理的です。二項に並べて三項として並べる意図は1.追加項目優先、2.詳細規定優先の原則から二項より三項優先の法解釈に持って行く為で、個別的自衛権しか認めなかった従来の解釈を変えて集団的自衛権まで広げた安倍政権は国家の根本を定める現憲法を否定するということは、国家反逆の企てでしょう。)
魯参
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「9条の2」を新設!

2018.3.25 自民党大会は議論の末、改憲案を執行部に一任しました。
それが 9条に3項を加えるのではなく、「別条」とするものでした。
10条とするわけにいかないので「9条の2」を新設するとしました。

「9条の2」

「1項」 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。

「2項」自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

「時代の変化とともに、憲法の中身を常に磨く議論があってしかるべき」と識者に語らせています。

憲法学者に自衛隊が「違憲」といわれたのでは「立憲主義か空洞化する」(安倍首相)、何としても「自衛隊」を憲法に書き込みたい。それは、衆参両院で2/3を占有している「今」しかない。(2019年夏に参議院選挙がある)

2015年 安保法制を通して、「日米同盟」第一できている。自衛隊は同盟国のため世界中で軍事行動することにつながることは誰もが感じています。

「9条」を読みますと
「~放棄する=国と国との争いを解決する手段としての戦争をいっさい認めない

~保持しない=そのための軍備(武器など戦いの準備)も持たない
~認めない=国家が戦争を起こしたり戦争の際、力を使える権利も認めない」

前文で示しているように「われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保」しなければならない。 個人の尊厳、いのちの尊厳を保障する政府をつくり、諸国といかに仲良くするかと努力する。「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」気持ちをもって、いかに世界に貢献するかを考えなくてはなりせん。9条と一体のものです。

前文から見ると「9条の2」はありえない。

時代は「核兵器廃絶」が近々の課題になってきています。

1950年、朝鮮戦争に出兵した米軍兵士の家族の警備を任務として警察予備隊(75000人)を設置したのが、「自衛隊」の起源です。
アメリカは1945.7.16にすでに原爆を開発し広島・長崎で都市投下実験をしていますから。世界に知られた唯一の核兵器保有国でした。ソ連か1949.8.26、セミパラチンスクで最初の核実験をしました。原爆を保有ことになりました。
アメリカは、日本を「防波堤」とする戦略の変更となりました。それで三鷹・下山・松川事件(1949年)を皮切りに、日本統治に変化が始まります。さらに日米安保条約の押しつけがそれです。
アメリカの核兵器に隷従して、「9条」改憲を意中に自民党が結党しています(1955年)。米軍基地も核も「抑止力」と主張するのが自民党です。
「憲法に自衛隊を明記し、違憲論争に終止符を打とうではないか、これこそが今を生きる政治家、自民党の責務だ」(安倍晋三首相)。

自民党(日本人)に「世界の終末」に加担させたくはありません。

現在、核兵器禁止条約に56カ国が署名し、4カ国が批准しています。日本政府にも署名させ国会の議決で批准させるのがわれわれの課題です。

その時、米・ロ・仏・英・中をはじめイスラエル・パキスタン・インド・北朝鮮は。核兵器を廃棄せざるをえなくなるでしょう。アメリカは世界に約1000箇所ある基地も軍隊の配置もなくすることでしょう。

日本から米軍基地がなくなれば、ユーラシア大陸の東端で、平和・民主・文化国家として、時代をひらくことに貢献できます。

 

憲法語らい場 古川ひろすけ

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魯参さん、古川さん、みなさん、

さすが、古川さんは、長年の実績をもつかただけに、懇切丁寧にことをあきらかにしてくださっています。
現実には、まったく、このような経緯をたどって、いまのこの状況がうまれてきています。

そこで、わたしは、ちょっとちがった視角から、問題点を指摘しておこうとおもいました。
「日本国憲法」の「第九条」というすばらしい規定、いえ、決意表明を、条文だけはそのままにしておきながら、
そのつどそのつど、たくみにいいわけをかさねながら、しかし、じっさいにはまぎれもなく強力な「戦力」を
保持するにいたった、この経緯は、まさに、わたしたちのこの「国」とそこにくらすわたしたちの「生きかた」を
象徴するものでした。

「忖度」も「改竄」もいまにはじまったことではなく、
すくなくともここ百数十年は、わたしたちのくらしに根づいた「ふるまいかた」でした。
「ことだまのさきおう(言霊の咲きおう)国」とは、うらをかえせば、
ことばひとつで、いかようにも現実を糊塗し歪曲しうる「国」でもあったのでした。

自衛隊が憲法違反であることなど、憲法学者に指摘されるまでもなく、
警察予備隊を創設した当初から、当事者たちすべてが知悉していたことでしょう。
それでも、これまでは、なんとか「いいつくろう」ことでごまかしつづけてくることができた。

いよいよ、いくらなんでもこれ以上のごまかしは不可能となったいま、
それでは、どうすればいいのか?
支配権をにぎっておられるかたがたは熟慮なされたことでしょう。
憲法の条文を変えて「現実にあわせる」べきか、
「現実」のほうを変えて、憲法の「理想」にあわせるべきか、
などといったキギロンが、ちまたでは、たえまなくおこってきていたのですからね。

これまでのどのソーリよりも、小手先の器用さをもって自認する現ソーリが
ジェスチャーたっぶりに編みだしたのが、
「第九条」の「一項」も「二項」もそっとしておいて、こっそりと、
そのあとに、やりたいほうだいの根拠となしうる文言をつけくわえる、
という「チエ」だったのですね。

さすがに、これじゃ、筋がとおらぬではないか、と、
おなじ政権党のなかからさえ、批判が出てきました。
しかし、なんてったって、疑似皇帝と宦官からなる官邸の力は強大です。
筋がとおるかとおらぬかなど、はじめから、問題外。

筋がとおるかとおらぬかは、じつは、ことばの問題です。
つまり、ことばをどのようにもちいるか、なのですね。

人間が人間であるゆえんは、
ことばによって考えうるところ、ことばによって表現しうるところにありますよね。
ですから、そのことばを「うばう」か「自由にする(支配する)」ことに成功できれば、
そのことばをつかうひとびとを自由に支配できます。

この間の事情を、たくみに表現してくれている小説が、
第二次大戦後まもなく、「冷戦」の時代が到来していたころ(1949)に、
イギリスのある作家によって世におくりだされています。
書いたのはジョージ・オーウェル、タイトルは『1984年』。

じつは、現実の1984年は、もう、すでにはるかむかしになっているのですが、
この作品が、いまなお、生きていて、このいま、世界中のひとびとに読まれているのには、
あまりうれしくない事情が、つまり、この作品が痛烈に諷刺している現実が
いまもなおこの世界に存在しつづけているという状況があるからなのですね。

ここでの諷刺は多岐にわたって深刻ですが、そのなかでひとつだけ、
ことばに関するところだけでも、ぜひ、いま、この日本国に生きているひとびとには
精読してほしいとおもいます。

「 戦争は平和である。
自由は屈従である。
無知は力である。」

これは、「ビッグ・ブラザー(偉大な兄)」の支配するこの「オセアニア国」の「真理省」の白い壁に
エレガントな文字で刻みこまれている「政権党」のみっつのスローガンです。

このスローガンの文言は、わたしたちの「常識」をうらぎっていますが、
じつは、この「国」に生きる以上、これは絶対の真実なのです。
そう考えること以外には、考えることはおろか、感じることすらゆるされないのです。

このスローガンを現実化する手段、
いいかえれば、この国家の「聖なる三原則」は,
「過去の可変性」と、
「ニュースピーク新語法」と
「ダブルシンク二重思考」です。

過去=歴史は、「過去管理」の担当省である「ミニトゥルー真理省」によって、
現在の国家的要請に合致するようにたえず書きなおされます。
過去の記憶や記録の変造をおこなう担当者は、しかし、
自分が改竄をおこなったのであるという事実を、ただちに、わすれる。
そういった精神的操作を身につけているからです。

この「ミニトゥルー真理省」がそうであるように、
オセアニア国の行政をになう四つの省は、いずれも、
その名称とは正反対の機能をはたしています。
たとえば、「ミニパックス平和省」とは戦争を計画実行する官庁ですし、
「ミニラブ愛情省」は抑圧と陰謀をこととし、
「ミニプレンティ豊富省」は、国民生活がつねに成長をつづけているという数字を偽造して国民をあざむくのです。

「ニュースピーク新語法」とは、
国民がなにかを考えるさい国家にとって必要な「正統的な」考えかたしかできないようにするために
極限まで削減されたことば=概念だけでなりたっている言語体系のことです。
これを支える思考方法が 「ダブルシンク二重思考」です。
これは、ひとりの人間がたがいに矛盾しあう二つの信条を同時にもつ能力のことです。
たとえば、ひとをあざむきながらまったく誠実でありうる能力。

アベ・ソーリのやりかたには、このオセアニア国の「聖なる三原則」を彷彿とさせるところがありますね。
過去を改竄すること、知を軽視する、というより無知を力とすること、
ことばの意味をすりかえること、などなど。
意識してごまかしをやっているのではないでしょう。
自分自身でそうと信じているからこそ、
平然と、自信をもって、どのようなまやかしもできるのです。
まさに「ダブルシンク(double think)二重思考」ではないでしょうか。

そういってすまされないのは、しかし、マスコミを筆頭に日本国「国民」の大部分が、
この「ダブルシンク(double think)=二重思考」に感染してしまっているのではないかとおもえるからです。
ゆゆしい事態です。これでは、ことの本質を見ぬくことなどできはしない。


「ミニトゥルー」は「Ministtry of Truth」
「ミニパックス」は「Ministry of Peace」
「ミニラブ」は「ministry of Love」
「ミニプレンティ」は「Ministry of Plenty」の
「新語法」による短縮形。
「二重思考」を「ダブルシンク(double think)」とするのもおなじ。
「新語法」そのものが「ニ ュースピークnew speak)」と言いかえられています。

ひこ

 

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