沖縄九条の碑巡礼

みなさま

 

こんにちは。

5月末に、旅行社のツアーで沖縄9条の碑3つをめぐってきました。

拙文ですが、報告させてください。

 

全国に「9条の碑」はわかっているだけで20、そのうち7つは沖縄県にあります。

那覇空港から沖縄本島をバスで北上すること約2時間。まず、大宜味村にある

9条の碑をたずねました。

第二次世界大戦時、大宜味村でも約1000人が戦争の犠牲になり、慰霊碑には

お名前が刻んでありました。碑を建立した「大宜味村9条の会」会長の平良さんは、

多くの児童が亡くなった疎開船「対馬丸」の生存者。碑の前で聞く体験談は、

想像を絶するものでした。アメリカの潜水艦からの攻撃で沈む船上での阿鼻叫喚、

油まみれで沈んでいく子どもたち、人食い鮫、6日間におよぶ漂流、飢餓・・

「一生、戦争の痛手を忘れることはできません。うっかりすると、これからも

どうなるかわからない。9条は世界の宝。守りぬくのが私たちの使命です」と平良さん。

村長はじめ町の人たちが力をあわせて建てた9条の碑。

「碑を建てておわり、じゃない。9条を守るから碑をつくるんじゃなく、

つくるから、守るのです」。会の女性が力強く語ります。

いしぶみ。石の文。未来への。

刻まれた「命どぅ宝」の文字のまわりを、9羽のハトが羽ばたいていました。

【写真 大宜味村9条の碑】

 

翌日訪れたのは、沖縄本島南部にある南風原(はえばる)町。

近くには、沖縄戦のさなか「ひめゆり学徒隊」が負傷兵を治療した壕が

くろぐろと口をあけていました。15歳から19歳の女学生たちは「数日間で

帰れる」と戦火の中に動員され、日本軍とともに南に追われ、教諭を含めて

240人のうち136人が命を散らしていきました。今でも薬びんが掘り出される

という防空壕。当時は足の踏み場もないほど重症患者が横たわり、鼻をつく

臭いに満ちていたといいます。耳をつんざく砲撃音のなか、400メートル先の

炊事場まで往復しなければならなかった彼女たちの恐怖はどれほどだったか・・

私たちをガイドして下さった若い女性は、学徒隊の生存者の方が「話さなけ

れば同じ歴史が繰り返されてしまう」と、気持ちをふりしぼってお話しされる

のを目の当たりにして「聞いたからには伝えなければ」と案内ガイドになられ

た方です。彼女が、壕の近くの「鎮魂広場」に案内してくれました。

キノコの形をした大きな9条の碑。

碑の後ろには9条の条文が中国語、ハングル、英語で掘られ、「日本国憲法

第9条は人類の進むべき道しるべ」と碑文が添えられていました。

「歴史の重みを受け止める」という意味で条文の上に置かれた大きな石の前を、

黒びろうどのような蝶が舞っていました。沖縄で「死者の魂」と呼ばれる

つややかな蝶が。

【写真 南風原9条の碑】

 

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みなさま

こんにちは。沖縄報告後編です。ごらんいただけたらうれしいです。

沖縄本島から飛行機で1時間。エメラルドグリーンの海に真珠の

ように浮かぶ石垣島に初上陸!沖縄戦のとき、石垣島や竹富島、

宮古島など八重山諸島に米軍は上陸しませんでしたが、島々では

多くの人々が命を落としました。それは「戦争マラリア」。

私も恥ずかしながら今回初めて知りました。

日本軍は、島民の牛や馬、鶏などを軍の食料として調達するために、

住民をマラリア有病地の西表島へ「強制避難」させたのです。

「あそこはプーリ(マラリア)の島さ!」知っていた住民は反対

しましたが、軍刀をふりかざす日本兵を前に従うしかありません

でした。各島から約3万人が西表島にわたり、半数がマラリアに感染、

3147人が亡くなったそうです。戦後、日本軍の宿舎からは配られる

ことのなかったキニーネ(マラリア薬)が押し入れいっぱい出てきたとか・・

「八重山戦争マラリア犠牲者慰霊之碑」の前で「戦争マラリアを

語り継ぐ会」の潮平さんは力をこめて語りました。

「軍が国民を守る、というのは幻想です」。

石垣島の新栄公園には、憲法9条の碑がたっています。

デザインした「9条の会やえやま」の潮平さんがご説明。

「この石は中国から運んできたんです。戦争でひどい目にあわせた

中国の石に、平和の誓いである9条を刻もうと。あえて、台座は

作りませんでした。我々が生活している同じ地球の表面にたてたかった。

石の重さは9トン。地面の下に1メートルくらい埋まってるんですよ。

簡単には掘りださせないぞ、ってね」

石を選んでいるとき「ハトの羽に見えた」という石が、条文の石に

もたれかかるように立っています。後ろに回ってみると、羽を広げたハト。

潮平さん「平和は危なっかしい。たおれかかるハトの石を、9条が

支えている、という意味をこめました」。

 石垣島最後の夜。夕食は地元の皆さんと交流会。三しんの音色が、

まばゆいほどの月明かりに溶けていくよう。

「民謡はいいさー、落ご者を出さないからねー」。

この海と空のはざまで、したたかに、たくましく生きている人々。

いかに一時の権力がおさえつけようとしても、決して、彼らがつらぬく

「命どぅ宝」の生きざまを絶やすことはできないんだろう。

それは琉球の「風土」そのものなのだから。

西岡由香

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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