92年リヲで訴えた12歳セヴァン鈴木:その後

リオで訴えたセヴァン鈴木(12歳)その後

セヴァン鈴木その後の活動(一部):

核問題を(コメント:各人間が地球を大事にしたら良いのに)
共通地盤:原住民と環境(コメント:戦争と友好を考えよう)
未来を覚えておいて:バイオニーア(コメント:人間として)
水と環境:環境フットプリント削減(コメント:水はいのち)
92年リオサミット20年後再訪問:各国リーダーは世界裏切り
(コメント:目覚めさせてくれ有難う、一方盲目コメントも)
リオでのスピーチに日本語の字幕付きを見つけましたので
それも併せて紹介します。(大塚)

平和の詩・生命の詩:未来世代の訴え    (MLより転載)

魯参さん

平和の詩の反響報道をありがとうございました。
わたしの出したメールに対して、本人からも学校からも
返事がなくて残念に思っていましたが、100通ものメールが
届いていたならば、なかなか返事をかけませんね。
相良倫子さんの朗読を聞いて、1992年ブラジルでの環境サミットでの当時12歳だった日系カナダ人のセヴァン・スズキさんの
スピーチを思い出しました。
 
現在も環境活動家として活躍しているようですね。
相良倫子さんの将来の活躍も楽しみです。
 
ネットで調べたら、セヴァン・スズキさんのスピーチが出てきました。
26年以上経った今、再び読んでも感動を覚えました。
真実を語ることは、時を経ても色褪せないものですね。
 
以下に転載します。
 

こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。エコというのは、子供環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼーション)の略です。カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。あなたたち大人のみなさんにも、ぜひ生き方を変えていただくようお願いするために、自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をしてきました。

 今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがうんですから。

 私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。

 太陽のもとにでるのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。呼吸をすることさえこわい。空気にどんな毒が入っているかもしれないから。父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。それらは、もう永遠にもどってはこないんです。

 私の世代には、夢があります。いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか?あなたたちは、私ぐらいの歳のときに、そんなことを心配したことがありますか。

 こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。まだ子どもの私には、この危機を救うのになにをしたらいいのかはっきりわかりません。でも、あなたたち大人にも知ってほしいんです。あなたたちもよい解決法なんてもっていないっていうことを。オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう

 死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのか、あなたは知らないでしょう。

 どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。

 ここでは、あなたたちは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。でもほんとうは、あなたたちもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。そしてあなたたちのだれもが、だれかの子どもなんです。

 私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。そうです50億以上の人間からなる大家族。いいえ、じつは3千万種類の生物からなる大家族です。国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えようがありません。私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。私は怒っています。でも、自分を見失ってはいません。私はこわい。でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私はおそれません。

 私の国でのむだづかいはたいへんなものです。買っては捨て、また買っては捨てています。それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富をわかちあおうとはしません。物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。

 カナダの私たちは十分な食べものと水と住まいを持つめぐまれた生活をしています。時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。

 2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。ひとりの子どもが私たちにこう言いました。

 「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べものと、着るものと、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。」

 家もなにもないひとりの子どもが、わかちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。

 これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じぐらいの歳だということが、私の頭をはなれません。どこに生れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。私がリオの貧民街に住む子どものひとりだったかもしれないんです。ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドで物乞いをしていたかもしれないんです。

 もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えばこの地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけどそのことを知っています。

 学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたたち大人は私たち子どもに、世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、

* 争いをしないこと 
* 話しあいで解決すること 
* 他人を尊重すること 
* ちらかしたら自分でかたづけること 
* ほかの生き物をむやみに傷つけないこと 
* わかちあうこと 
* そして欲ばらないこと 

 ならばなぜ、あなたたちは、私たちにするなということをしているんですか。

 なぜあなたたちが今こうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。そしていったいだれのためにやっているのか。それはあなたたちの子ども、つまり私たちのためです。みなさんはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めているんです。

 親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子どもたちをなぐさめるものです。あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。おききしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。

 父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。しかしあなたたち大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。あなたたちはいつも私たちを愛しているといいます。しかし、いわせてください。もしそのことばがほんとうなら、どうか、ほんとうだということを行動でしめしてください。

 最後まで私の話をきいてくださってありがとうございました。

(翻訳:ナマケモノ倶楽部)

(Her original English speech video is quoted at the end of this article)

             大塚卿之

             otsuka.shimoda@gmail.com

             http://www.wadashigemasa.com/
みなさん

(赤字部分読み落としで追加)

中3少女の平和の詩、反響呼ぶ 沖縄慰霊の日に暗唱朝日新聞 2018年7月29日 山下龍一 6月23日の「慰霊の日」の沖縄全戦没者追悼式で、沖縄県浦添(うらそえ)市立港
川中学校3年相良倫子(さがらりんこ)さん(14)が読んだ平和の詩「生きる」が、
今も反響を呼んでいる。著名人から絶賛される一方、厳しい声もあった。相良さんは多
様な意見が出た経験を糧に「もっと大きく物事を見られる人になりたい」と話している

 相良さんの元には「詩をもう一度読みたい」「感動しました」といった手紙やメール
が全国から100通近く届いた。高齢の人が戦争体験をつづり、「平和であることは大
事だと、また新たに気づかされた」と書いたものもあった。

 自分の好きな沖縄の景色から書き始めた詩。戦争の景色は怒りの感情を出そうと考え
た。放課後、国語の先生とマンツーマンで朗読の練習をした。

 本番では6分半にわたり、原稿を見ることなく、力強い声で暗唱した。その様子が全
国に放送された。

 落語家の立川談四楼さんはツイッターで「胸を打たれた。これを本当の愛国心と言う
」。ミュージシャンの後藤正文さんは、朝日新聞のコラムで「大人たちこそ、平和への
願いを自らの言葉で発するべきだろう」と書いた。一方で「大人にやらされている」と
いった声もあった。

 予想外の大きな反響。「私の詩に真剣に向き合ってくれた人がいて、伝わっていると
感じて、ありがたかった。戦争と平和について考えるきっかけを作れたかな」と受け止
めた。

 演台に向かうときは足が震えた。そのせいか「きっとわかるはずなんだ。/戦争の無
意味さを。本当の平和を」に続く「頭じゃなくて、その心で」という一節を飛ばしてし
まった。「私と同じような普通の中学生でも、平和というのは、難しいことでもなんで
もなくて、心で感じられるものとしてあるんだよということを伝えたかったのに、ショ
ックで」と振り返る。

 慰霊の日から1カ月。改めて自作の詩と向き合って、こう考える。「沖縄の風景だっ
たり、悲しい過去の歴史だったりとかに、もう一度深く向き合って、私たちの世代が考
え、つなげていかないといけない。次の世代に語り継ぐことが私たちの役目になると思
うし、それがふるさと沖縄に対しての恩返しになるかな」(山下龍一)

「生きる」の全文

私は、生きている。/マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、/心地よい湿気を孕(は
ら)んだ風を全身に受け、/草の匂いを鼻孔に感じ、/遠くから聞こえてくる潮騒に耳
を傾けて。

私は今、生きている。

私の生きるこの島は、/何と美しい島だろう。/青く輝く海、/岩に打ち寄せしぶきを
上げて光る波、/山羊(やぎ)の嘶(いなな)き、/小川のせせらぎ、/畑に続く小道
、/萌(も)え出(い)づる山の緑、/優しい三線(さんしん)の響き、/照りつける
太陽の光。

私はなんと美しい島に、/生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、/島を感じる。心がじわりと熱くなる。

私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが/この瞬間の愛(いと)おしさが/今と言う安らぎとなり/私
の中に広がりゆく。

たまらなく込み上げるこの気持ちを/どう表現しよう。/大切な今よ/かけがえのない
今よ

私の生きる、この今よ。

七十三年前、/私の愛する島が、死の島と化したあの日。/小鳥のさえずりは、恐怖の
悲鳴と変わった。/優しく響く三線は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。/青く広がる
大空は、鉄の雨に見えなくなった。/草の匂いは死臭で濁り、/光り輝いていた海の水
面(みなも)は、/戦艦で埋め尽くされた。/火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き
声、/燃えつくされた民家、火薬の匂い。/着弾に揺れる大地。血に染まった海。/魑
魅魍魎(ちみもうりょう)の如(ごと)く、姿を変えた人々。/阿鼻叫喚(あびきょう
かん)の壮絶な戦の記憶。

みんな、生きていたのだ。/私と何も変わらない、/懸命に生きる命だったのだ。/彼
らの人生を、それぞれの未来を。/疑うことなく、思い描いていたんだ。/家族がいて
、仲間がいて、恋人がいた。/仕事があった。生きがいがあった。/日々の小さな幸せ
を喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。/それなのに。/壊さ
れて、奪われた。/生きた時代が違う。ただ、それだけで。/無辜(むこ)の命を。あ
たり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁(まぶに)の丘。眼下に広がる穏やかな海。/悲しくて、忘れることのできない
、この島の全て。/私は手を強く握り、誓う。/奪われた命に想(おも)いを馳(は)
せて、/心から、誓う。

私が生きている限り、/こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さない
ことを。/もう二度と過去を未来にしないこと。/全ての人間が、国境を越え、人種を
越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。/生きる事
、命を大切にできることを、/誰からも侵されない世界を創ること。/平和を創造する
努力を、厭(いと)わないことを。

あなたも、感じるだろう。/この島の美しさを。/あなたも、知っているだろう。/こ
の島の悲しみを。/そして、あなたも、/私と同じこの瞬間(とき)を/一緒に生きて
いるのだ。

今を一緒に、生きているのだ。

だから、きっとわかるはずなんだ。/戦争の無意味さを。本当の平和を。/頭じゃなく
て、その心で。/戦力という愚かな力を持つことで、/得られる平和など、本当は無い

ことを。/平和とは、あたり前に生きること。/その命を精一杯輝かせて生きることだ
ということを。

私は、今を生きている。/みんなと一緒に。/そして、これからも生きていく。/一日
一日を大切に。/平和を想って。平和を祈って。/なぜなら、未来は、/この瞬間の延
長線上にあるからだ。/つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。/誇り高き、みんなの島。/そして、この島に生きる、すべての命
。/私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

これからも、共に生きてゆこう。/この青に囲まれた美しい故郷から。/真の平和を発
進しよう。/一人一人が立ち上がって、/みんなで未来を歩んでいこう。

摩文仁の丘の風に吹かれ、/私の命が鳴っている。/過去と現在、未来の共鳴。/鎮魂
歌よ届け。悲しみの過去に。/命よ響け。生きゆく未来に。/私は今を、生きていく。

https://www.asahi.com/articles/ASL7S6DP8L7STPOB008.html?ref=nmail

 

(English translation of the above poem, the above addition already included at it posting)

 

I am alive.

Treading the great earth, transmitting the heat of the mantle,

Receiving the wind, impregnated with comfortable dampness, in the whole body,

Sensing the smell of the grass in the nostrils,

Listening to the sound of the sea coming from afar.

 

I am alive now.

 

What a beautiful island this is

Where I live!

The sea shining blue,

The wave glittering into splashes, dashing against the rock,

The neighing of a goat,

The babbling of a brook,

The path leading to farmland,

The budding green of the mountain,

The gentle sound of the Sanshin,

The light of the shining sun.

 

What a beautiful island,

Where I was born and raised!

 

I feel the island with all my senses and sensitivity.

My heart grows increasingly warm.

 

I am alive at this moment.

 

The splendor of this moment,

The affection of this moment,

Becoming a comfort of the now,

Is spreading within me.

 

How should I express this feeling

That is welling up unbearably?

Dear now,

Irreplaceable now,

The now where I live!

 

Seventy-three years ago,

That day my beloved island was transformed into an island of death,

The chirping of birds changed into screams of fear.

The gentle sounding Sanshin disappeared in the roaring of the bombing.

The great expansive blue sky disappeared in the rain of iron.

The smell of the grass was muddied with the smell of the dead,

The surface of the shining sea was filled with battleships.

The flame blowing out from the flamethrower, the crying of small children,

People’s homes burned out, the smell of gunpowder.

The earth shaken by the landing bombs, the sea dyed with blood,

People changing their appearance, becoming like demons and monsters,

Memories of a fierce battle in the screaming and shrieking.

 

Everyone was alive.

It was life living desperately – nothing different from me,

They imagined their lives, their respective futures,

With no doubt.

They had their families, their friends, and their lovers,

Their jobs, their life values.

They were delighted with their daily little happinesses.

They were the same human beings as I, having lived with others hand in hand.

And yet,

They were destroyed and deprived,

Just because the era they lived was different, only because of that,

Their innocent lives, those days that were lived as ordinary.

 

The Hill of Mabuni, a gentle ocean expanding under the eyes,

All of this island, sad, and unforgettable.

I firmly grip my hands and swear.

I swear from the bottom of my heart,

With my heart reaching the lives deprived.

 

So long as I live,

I absolutely will never allow war, which sacrifices so many lives,

Will never, ever make the past a future,

And will aim at a world of peace among all people, beyond nationality, beyond race,

Beyond religion, beyond all kinds of interests,

To live, to be able to cherish life,

To create a world unviolated by anyone,

To never give up the effort to create peace.

 

You will feel, also,

The beauty of this island.

You will know, also,

The sorrow of this island.

And you, also,

Live this same moment as I.

 

You live together with the now.

 

Therefore, you must surely understand

The meaninglessness of war, true peace,

Not with your brains, but with your hearts.

There is actually no peace gained

By having the foolish power of military power.

Peace is to live the life of course,

To let life shine in its fullness.

 

I am alive now,

Together with everyone.

And I will live from now on,

Dearly and carefully day by day,

Thinking of peace, praying for peace,

Because the future is

On the extending line of this moment,

In other words, the future is now!

 

My favorite island,

A proud people’s island.

And all the lives that live on this island.

I am living my life with me, my friends, my family.

 

Let’s continue living together from now on also.

From this beautiful homeland surrounded by this blue.

Let’s transmit our message of true peace.

Each person standing up,

Let’s each one of us rise up

And walk the future with everyone.

 

 In the winds of the hill of Mabumi,

My life is ringing, blowing,

The resonance of past, present, and future.

Let the requiem reach the past of sorrow!

Let life reverberate

In the future we live in!

I live in this very now!

 

(translated and posted by Rosan Yoshida, edited by Erin Davis)

 

 縄文の村は・目覚めの一撃(ブログ・スレッド転載)

縄文の村は

「縄文の村」は多摩センター駅から車椅子でも6分の位置にあります。隣接する展示館(都立埋蔵文化財調査センター)にも車椅子で移動できます。園内も介護が有れば車椅子でも。
どうしてここを推薦するのかを語っておきたい。

南多摩の丘陵は1965年に日本住宅公団多摩開発事務所が発足して、日本最大級の計画市街地・多摩ニュータウンを造ることになりました。それにともなって、遺跡調査会が1996~2005年の40年をかけて調査を続け、この丘陵から964ヶ所の遺跡が見つかっています。
32000年前からの旧石器人、13000年前からの縄文人~江戸時代人の生活が眠っていました。発掘調査で知ったことではありますが今やセメントとアスファルトで二度と再び証言できなくされました。これを展示し、埋蔵物保存し調査記録はこのセンターにはありますが、「大地」は帰っては来ません。今やセメントとアスファルトの市街地となりました。多摩ニュータウンの入所開始が1971年でしたから、当時20代で入所した住人は70代となったわけです。もはやオールドタウンとなっています。この50年間の日本人が大地を消し去っています。1990年にはサンリオピューレランドが開園しています。
32000年前からの旧石器時代から江戸時代までの展示がされてはいます。遺跡の一つ、№57遺跡が遺跡公園「縄文の村」として残りました。ここには復元された4500年前、5000年前、6500年前の竪穴住居があります。これらに次々に入って目が慣れたころには縄文人と対話している自分たちがあることに気づくでしょう。
猛暑騒ぎでも涼しいのです。縄文の森は涼しく風が渡ります。記録的豪雨災害・猛暑熱中症は私たち50年間の日本人が大地を引っ剥がしたことと関係はありませんか?
縄文のまなざしを取り戻すことのできる「時空」がここにはあると思います。

大地と共にあった気奥を探りながら未来を見つめなければならない。
日本人の気奥の縄文は「個人の尊厳」「戦争放棄」の日本国憲法にあると私は考えています。
11月23日の語らいを楽しみにしています。

2018.7.19
憲法語らい場
古川ひろすけ

ーーーーー

Translate message

東京都埋蔵文化財センター
〒206-0033
東京都多摩市落合1-14-2
http://www.tef.jp/waibun/
ーーーー

Translate message

みなさま

春田です。

暑中お見舞い申し上げます。

毎日あっついですね。

本格的な縄文ブームの到来を感じています。

東京都埋蔵文化財センター

https://www.tef.or.jp/maibun/

雑誌「東京人」の最新号でも東京都埋蔵文化財センターが

紹介されていました。

http://www.toshishuppan.co.jp/tokyojin_shousai.php

若い人に人気の片桐仁という俳優さんが案内しています。

王道、ナショナルミュージアム。

東京国立博物館 特別展「縄文ー1万年の日の鼓動」

http://jomon-kodo.jp/index.html

縄文の美を満喫できます。

映画「縄文にハマる人々」

http://www.jomon-hamaru.com

権威筋から在野まで、いろんな「ハマ」っている人々が

登場します。

貝塚は、昔は縄文人ゴミ捨場と言われていたと思います。

映画では命の再生の場所であると研究者が言っていました。

縄文人の世界観にふれることができます。

ご案内まで。

ーーーーー

Translate message

 

古川さん、春田さん

ありがとうございました。

映画「縄文にハマる人々」

ぜひ見たいと思っています。

泉田守司

 ーーーーー  

Translate message

古川さん、

「記録的豪雨災害・猛暑熱中症は私たち50年間の日本人が大地を引っ剥がしたことと関係はありませんか?」
関係がある。どころか、それこそが根本的原因である。そう、わたしもおもっています。 

50年といわず、律令制度が成立したこのからずうっとだとおもいますが、
とりわけ、150年前に「明治維新政府=国家」が出現し、西欧文化を、その精神をきりはなして、
その「近代化」の側面だけを急速に輸入していった、そのころからのちの、
「日本国民」は、官民をとわず、総出で、「大地を引っ剥がし」ていったのでした。

西欧的な思想では、「自然」とは人間が制服すべきもの、征服してはじめて人間の「役に立つ」存在となるものでした。
アフリカの原住民たちですら、「植民地者(コロン)」の目には、征服すべき「自然」に見えていた。
しかし、西欧でも、近代社会が成立する以前の人社会では、
人間は、自然をおそれ、うやまい、と同時に、自然としたしみ、
自然のなかにとけこみながら、生きていたようです。

東アジアの日本列島では、とりわけ、自然は人間にやさしく、したしい存在だったように見えます。
縄文時代といわれているころには、とりわけ、そういった生きかたが、ごく「自然に」(この副詞が、
そのさまを如実にものがたていますよね)人間のありようとなっていたのでしょう。

エンゲルスが指摘したように、たしかに、そのような生きかたがなりたっていたのは、それ以外の生きかたを
人間たちは、まだ、なしえなかったからかもしれません。
つまり、西では、森でけものを狩り、東では海ですなどり、そのとぼしいえものをみんなでわかちあって
いのちをつないでいた。
ひとより多くとる者はまだいなかった。
平等などという概念がうまれることもなかった。

縄文の時代に郷愁を感じるのは、この現代が、
そのような「自然な」くらしからあまりにもかけはなれてしまっているからでしょうね。 

「大地」ということばは、つねに、ひとびとの郷愁をかきたててきた。
近代化が目に見えてきたとき、「大地」への「回帰」がひとびとのこころをいざなった。 

日本列島の住民だけではなかったのです。
19世紀ロシアで、すさまじいいきおいで近代化(その象徴は煙をはいて大地を驀進する機関車だった)が
進んでいたとき、ドストエーフスキイがつくりあげた政治・思想団体は「大地主義(通常は「土地主義」)」と
名づけられた。
ロシア人にとっては、このいまでも、なお、「ゼムリャー=大地」ということばは独特のひびきをもっています。

このいまの「記録的」と言われる「自然災害」は、もともとの自然がおこしているのではない。
荒らされ、傷つけられ、見る影もなくされてしまった自然の断末魔の叫びです。
まさに、全身の皮膚を「引っ剥がされた」大地のうめきだと、わたしはおもいます。

いまから百年もまえになりそうな1930年代に、フランスの作家ポール・ニザンが
こんなことを書いています。
「都会の土は、切石の甲殻か、機械でこね釜でとかした黒い塗料でおおわれている、
土が息をしたり雨水でうるおったり埃となって散乱することを禁じ、都会の人間を保護して
土と接触させないようにしている堅い皮で。」(『トロイの木馬』、浦野衣子訳、晶文社、1970)

すべては人間のためにある、人間に奉仕しえない「物」など存在しない、してはいけない。
こういった感じかた考えかたがひとびとのからだにまでしみこんでしまっているこの時代になって、
はじめて、これでは生きられないのではないか、という不安と疑念が、ひとびとのこころをとらえるようになった。

これもまた「自然な」ことではないでしょうか。

 

ーーーーー   

Translate message

 

みなさん

今朝禅センターに行く時に経験したことです:

隣の車が赤信号を見て一旦止まるようにしたが

そのまま赤信号無視で去りました。それに警報

を鳴らしたら後ろから来た車が煽り運転をしま

した。高速を降りる時に停止信号前なのに隣の

車が大声で負荷しました。これらを見てエゴの

強い傍若無人:共にない者(罪=分離)を強く

感じました。

大塚さんご紹介の脳梗塞した脳科学者ジルの母

ジジがジルの床に入り我が子を抱いて揺り動か

したのに感動しました。抱擁は同一化、共にあ

る証ですね。それが自然の姿であり一切と共同

の姿でしょう。小我を超えて大我に目覚める事、

一切衆生と共にあり、その為に今を生き喜ぶ事

が生前死後の喜びではないでしょうか。

魯参

www.heiwasekai.org

www.missourizencenter.org

www.global-ethics.org

ーーーーー

このスレッドを平和世界に転載させてもらいたい

のですが投稿者に皆さん宜しいでしょうか?
魯参
ーーーーー

ひこさん

つまり、未来は今なんだ にも
縄文の村 にも

丁寧な論考をありがとうございます。

ひこさんは「昭八」世代、私は「一八」世代なんですね。
私の身近の先輩にも「昭八」さんが幾人かありまして親しくさせてもらいました。

縄文性は弥生以降2500年の中にも生き続けていたと日本史を見ることをしていきたい。江戸時代まではこよみ(旧暦)とともにありました。明治が縄文性を抹殺してきたように思います。せめて名月祭で月を三世代を越えて観賞する行事を行っています。縄文の糸口をつけていこうと考えています。今年11回目の多摩川名月祭を9月24日(旧暦八月十五日)に多摩川堤防(電通大グランド南)で実施いたします。韓国ではこの日がお盆だそうです。
なお5回目となりますが10月21日日曜(旧暦九月十三日)には、くら七世代で、多摩川十三夜祭を開催したします。

古川ひろすけ

追伸
魯参さん

「縄文の村は」ブログ掲載よろしくおねがいします。

ーーーーー

Translate message

魯参さん、みなさん

坐禅をされている魯参さんと小林さんには特にこの番組を見て欲しいと望んでいました。
わたしはこの番組やTEDを観て、更にテイラーの著書「奇跡の脳」を
読んで、「左脳の働きを止めて、右脳を活発にさせることがまさに坐
禅や瞑想ではないか」との思いを強くしました。
もう少し脳研究が進めば、このことが解明されるかもしれません。
人類の脳の進化の過程で言語、論理を司る左脳に偏りすぎたことは、
不幸をもたらしたように思います。
左脳よりも右脳を働かせるような全く新たな教育システムができたら、この問題を解決できるかもしれません。
魯参さんが、今朝禅センターに行く時に経験したことなどは左脳がもたらすバラバラ観であり、脳科学者ジルの母ジジがジルの床に入り我が子を抱いて揺り動かしたのは、右脳の一体観によるものだと思います。
ところで、あのBS放送を見ることができなかった方もおられることと
思いますので、ネット上にあるTED速記録を以下に紹介します。

Jumpなどほかのmlへは既に送ったので重複する方には申し訳ありません。

          ジル・ボルト・テイラー博士のTED速記録 

左脳の血管が破裂、4時間かけて情報処理能力を失っていく

私が脳の研究をするようになったのは、統合失調症を持つ兄のためでした。妹として、そして後に科学者として、私は知りたかったのです。なぜ私は夢と現実を関連づけ、夢を実現させることもできるのに、兄はそれができないのかということを。兄は、夢を現実に関連付けることができず、すべては妄想となってしまうのです。

その後私は、精神疾患の研究に取り組むことになりました。故郷のインディアナ州からボストンへと移り住み、ハーバード大学精神科にあるフランシーン・ベネス研究室に入りました。研究室で私たちは、正常と診断される人の脳と、統合失調症や統合失調性感情障害、双極性障害と診断される人の脳には、生物学的にどんな違いがあるのかを研究していました。
私たちは、脳の回路のマッピングを行い、どの細胞とどの細胞が通信しているのか、その時どんな化学物質をどれだけ使っているのかを研究しました。その頃の私の生活はとても充実していました。日中は研究を行い、夜や週末には精神障害同盟会(NAMI:national alliance of mental illness)の活動に参加していました。
ところが、1996年12月10日の朝、私は脳卒中を起こしたのです。私の左脳の血管は破裂し、私は4時間かけて自分の脳が情報処理能力を失っていくのを体感しました。
出血を起こした後、私は歩くこと、話すこと、読み書きをする能力を失い、自分が誰かも分からない状態でした。私は、大人の体をした赤ん坊になってしまったのです。
皆さんは人間の脳を見たことがありますか。脳には、2つの脳半球があり、それらは完全に分離されています。ここに本物の人間の脳を持ってきました。

こちらです。こちらが脳の正面、そして後ろには脊髄がぶら下がっています。2つの脳半球が完全に分離しているのが分かりますね。

右脳と左脳は完全に独立した別人格である
もしコンピューターに詳しい方がいらっしゃるのならば、例えるなら右脳は並列プロセッサ、左脳は単一プロセッサの機能を持っている、という説明がわかりやすいかもしれません。2つの脳半球は3億の神経線維からなる脳梁を通して通信し合っていますが、それを除けばそれらは完全に分かれているのです。2つの脳半球は別々に情報を処理します。そのためそれぞれの脳半球ではいわば考えることが違うのです。言葉を変えていうと、2つの脳半球はそれぞれ別人格であると言えるでしょう。
(助手に脳を手渡す)
ありがとう、とても楽しかったわ
(会場笑)
右脳にとっては現在ここにあることがすべてです。今この場所にいること、この瞬間を生きていることがすべてなのです。右脳は映像を通して考え、体の動きから得られる感覚で学びます。右脳に伝わる情報はエネルギーの形をとっています。感覚システムからそれらの情報が一気に流れ込むのです。そしてこの瞬間、何が見え、臭い、味がして、どのような感触がして、何が聞こえるかという情報を寄り集め、それらを総合体として認識します。
例えるのなら、右脳の意識を通して世界を見ると、私という存在は自分を取り巻くすべてのエネルギーと繋がっている存在なのです、まるで1つの家族のように。この場所や瞬間に、私たちはこの世界をより良くしようとしている兄弟姉妹となります。私たちはとても完璧な美しい共同体の一員として存在するのです。

さて、左脳はまったく異なった存在です。私たちの左脳は物事を直線的・系統別に考えます。左脳は、過去と未来の経験に基づいて、現在の瞬間を表すたくさんの総合的な情報から詳細を拾い出します。そしさらにその詳細の中からその詳細、そしてその詳細の中の詳細……というように。拾い出したそれらの詳細を分類し、情報を整理し、過去の経験と結びつけて、それを将来の行動へと反映します。
また左脳は言語で考えます。言うならば、脳内の「声」が内面の世界と外の世界とを繋ぐ役割を果たしているのです。例えば、左脳は私にこんなふうに言葉を発します。「帰る途中でバナナを買うのを忘れないでね、明日の朝食べるから」「今日は洗濯をしなければいけない」それはまさに、計算された知能が私にするべきことを思い出させるようなものなのです。
そして左脳で最も重要なのは、その「声」が、私が私であること、という事実を思い起こさせることなのです。左脳の存在があるからこそ、私たちは右脳のエネルギーに満ちた共同体から個々の存在へと切り離されます。私たちは1人の個人となり、周りとのエネルギーの共有状態から離れて、分離します。その左脳の働きが、脳卒中の朝に私の失いかけたものでした。
では、私が脳卒中を起こした朝についてお話します。

自分と周囲の境界線がなくなることの快感

その朝、私は左目の裏にひどい痛みを感じ目が覚めました。たとえるのならばその痛みはアイスクリームなどの冷たいものを食べた時に感じるような鋭い痛みです。その痛みは、いったん生じては消え、また生じては消え、というふうに継続的に発生しました。私はこのような痛みを体験することは初めてでしたが、そのうち消えるだろうと思い起き上がって、いつも通り運動用ローリングマシンに乗りエクササイズを始めました。
少しすると、私はマシンを握っている自分の手が原始的な獣か何かの鉤爪のように見えることに気がつきました。変だと思った私は、その後自分の体を見下ろし、そして自分がなんて奇妙な姿をしているのだろう、と思ったのです。その時私は、私が私自身をマシンの上から見下ろしているような感覚にとらわれました。
とても奇妙な感覚にとらわれ、頭痛がひどくなったので私はマシンを降りてシャワーに向かおうとしました。しかし、私の体の機能のすべてがとても遅くなり、ぎこちなくなっていることに気がつきました。身体機能も認識能力も制限されているようなその状況の中、なんとか動けるように体に意識を集中して歩きました。浴室に向かう途中、私は実際私の頭の中の「声」が聞こえるような気がしました、それは「筋肉、縮め」「筋肉、緩め」という指令を出しているのです。
しかしすぐに私はバランスを崩し、壁にもたれかかりました。そして自分の腕を見た時、もはや自分の体とその周りの物の境界線がわからなくなっていることに気付いたのです。自分という存在がどこから始まりどこで終わるのかも見分けがつきません。まるで私の腕の分子が壁の分子と入り交ざって、一体になっているような感覚なのです。唯一認識できるのは、私の体の中のエネルギーです。
私は考えようと努力し、私に何が起きているのかを問いかけようとしました。しかしその瞬間、さっきまで聞こえていた左脳の「声」が完全に途絶えてしまったのです。まるで静寂です。誰かがいきなりテレビのリモコンのミュートボタンを押したかのように、私の中の「声」が消えたのです。
私はその状態にとてもショックを受けましたが、それと同時に私という存在が周囲の大きなエネルギーと共同体となっている状態に魅了されたのです。もはや体の境界さえわからない私は、自分という存在が周りのエネルギーと一体となり大きく、大きく広がる感覚を感じたのです。それはとても素晴らしいものでした。

脳卒中は重荷やしがらみのない素晴らしい世界

しかしそうしていると、突然左脳が復帰してまた「声」が聞こえるようになったのです。それら左脳からくる「声」は、「問題が起きた!」「助けを呼べ!」「大変な問題が起きた!」と繰り返し指令を出すのです。私は「これは問題なのだ」と認識し始めました。
しかしまたすぐに、その「声」は消え、私はさきほどのエネルギーの共同体となっている意識世界へと押し戻されました。私はこのすばらしい空間を ラ・ラ・ランド(陶酔世界)と呼んでいます。そこは本当に素晴らしい世界なのです。外の世界と自分をつなぐ一切のしがらみから完全に切り離されているのです。想像してみてください、仕事のストレスがすべて消え、体が軽くなることを。外の世界とのすべての関係、ストレスの原因がなくなるのです。平和に満ちあふれた世界です。37年間ものさまざまな感情の重荷から解放されるのです、どんなにそれは素晴らしいものでしょう、ああ!
(会場笑)
なんという至福の世界。
しかしまた次の瞬間、左脳が戻ってきたのです。「問題だ! 注意を払え! 助けを呼べ!」私はその指令に集中しなくてはと思い、シャワーから出て機械的に服を着て仕事に行かなければ、と考えていました。しかしこんな状態で運転などできるか、という不安がよぎるのです。右腕は完全に麻痺していました。
そしてその瞬間私は気付いたのです。私は脳卒中を起こしたんだと。
その時、私はこう思いました。「なんてすごい。自分の脳を内側から調べるチャンスに恵まれる脳科学者なんてそうはいないではないか」
(会場笑)
しかし、すぐに「私はとても忙しいし、脳卒中になっている暇はないのではないか」と考えました。
(会場笑)
とはいえ、脳卒中は止められません。1~2週間で回復するかもしれない。ともかく今は職場に連絡することを優先しなければと考え、その行動に移ろうとしました。しかし職場の電話番号が思い出せないのです。困ったあげく、なんとか私の名刺に電話番号が書いてあるのを思い出し、書斎に行って名刺の束を見つけました。しかし一番上の名刺を見た時に次の問題が生じます、目ではその名刺がどのようなものか見えているのに、それが自分の名刺なのか他人のものなのかわからないのです。
見えるのは画素だけなのです。文字の画素が紙の画素や模様の画素と混じり合って見分けられませんでした。私は少し落ち着いて、意識が回復するのを待ってからもう一度番号探しを始めました。
自分の言葉が「ワンワン」と聞こえる
やっと自分の名刺と他人の名刺を振り分けられるようになったのですが、それでも45分かかりやっと3センチほどの名刺の山を振り分けられるという程度でした。しかもその45分の間に左脳の脳内出血はさらに広がっていきます。数字と電話を理解するのはとても大変なことでしたが、その時の私にはそのプランしか考えつくことができなかったのです。
ようやく自分の名刺を見つけましたが、また次の問題にあたります。数字が理解できないのです。そこで、私は名刺の数字と思われる形と、電話機の上の数字と思われる形のマッチしているものをひとつずつ選び、ダイアルしていったのです。その間も何回かラ・ラ・ランドへ舞い戻ってしまう瞬間があり、我に返るとどこまで番号を押したのかさえ覚えていないということが何回かありました。そこで、麻痺した手をすでにダイアルした数字の上に覆っていくことで、意識が飛んでしまっても、戻った時にどこの番号まで押したか覚えているようにしました。
やっとすべての番号を押し、電話をすることができました。しかし電話を取った同僚の言葉は私にはこう聞こえるのです。「ワンワン・ワンワン」。私はなぜ同僚がゴールデン・レトリバーみたいになっているのだろうと感じました。
(会場笑)
私も必死に助けが必要なことを話そうと思いましたが、口から出たのはやはり「ワンワン・ワンワン」なのです。私もゴールデン・レトリバーみたいに聞こえると思いましたが、その時私は話を聞く能力も話す能力も失いかけていたのでしょう。同僚は私が助けを求めているのを理解し、救急車を手配してくれました。
しばらくして私はマサチューセッツ総合病院へ向かう救急車に乗っていることに気がつきました。私は胎児のように丸まり、自分の体からエネルギーが抜けていき、魂が生きることを諦めかけているのを感じました。それは、風船から空気が抜けていくような感覚でした。
そして、私はもはや自分の人生を謳歌することができないこと、医者が私を救い生きる機会を与えてくれなかったら、おそらく私はこの世を去ることを認識しました。

誰でも脳卒中のときのような安住の地へ行ける?

その日の午後に目が覚めた私は、自分がまだ生きていることに驚き、またショックを感じました。私はすでに自分の人生に別れを告げていたからです。
その後、私の精神は2つの対照的な現実の間で宙づりになりました。1つは、堪え難い感覚の現実です。そこから入って来る情報は、刺激となり、痛み以外の何でもなくなりました。光は野火のように私の脳を焼き、音は極度にうるさく騒音の中から人の声を聞きわけることができませんでした。私はその状態から逃げ出したかったのを覚えています。自分の体の状態も認識できませんでした。しかし一方で、私のエネルギーは肥大し、魔法のランプから解放されたばかりの精霊のように大きくなるのです。
私の魂は大きなクジラのように自由に、静寂な海を滑るように泳いでいるのです。そこは幸福に満ちた、安息の地なのです。そうです、私は安息の地を見つけたのです。そしてこの大きい存在となった自分を、再びもとの小さな体の中に押し込めるのは想定できないと感じていました。
しかし同時に、私はまだ生きていることを認識し、その可能性を見いだしていました。そして生きているにも関わらずこの安息の地をみつけた私は、同じく生きている皆にこの安息の地を見つけることを伝えることができるのではないか……。そして私はそれを皆に伝えるべきだ、と思いました。
そして、平和で美しく、思いやりに満ち、愛すべき人々で満たされているこの安息の地に、皆が来ることができることの素晴らしさを思い描きました。そしてそれは、意図的に左脳から右脳へと歩み寄ることで可能なのではないかと。そしてこの体験がどれほど貴重なものかとなるかを考え、まだ生きている人たちにこの経験を伝えることが必要なのだと思い、その思いが回復への力になりました。
脳卒中になってから約2週間半後に手術が行われ、脳の言語中枢を圧迫していたゴルフボール大の血栓が取り除かれました。

これは手術後の私と母の写真です。母は天使のような存在です。その後私は、完全に病気が回復するまで8年かかりました。

右脳で生きれば世界はもっと平和に

さて、私たちは一体何者なのでしょうか。
私たちは器用な体と2つの認識的な心(左脳・右脳)を備えた宇宙の生命体です。私たちは左脳の働きにより、この世界でどんな人間になりたいのか、どのような存在でありたいのかを選ぶ能力があります。
そして同時にこの瞬間、私たちは右脳の働きにより、右脳の展開する意識世界へと寄ることができるのです。その世界では私たちは宇宙の生命力の共同体となります。私たちを作り上げる50兆もの美しい分子が、世界と一体となるのです、そしてそれは生命力の塊となってあふれているのです。
そうかと思えば、私たちは左脳の意識世界へ戻り、1人の堅実な個人として存在することを選べます。大きなエネルギーの流れや共同体とは別個の存在です。たとえば、私ならばそこでそう認識するのでしょう。「私はジル ボルト テイラー博士であって、有能な神経解剖学者である」と。
このように、私たちの中には、このような、まったく別の2つの意識世界が存在するのです。それら両方が、私たちの中にあるのです。
もし皆さんがそれら2つを選べるとしたら、どちらを選ぶでしょうか。どちらを、どのように、いつ、選ぶでしょうか。
私は確信するのです、私たちがより多くの時間を右脳の意識世界に向けるのならば、平安の地を見つけることにもっと時間を費やすのであれば、世界はもっと平和な場所になるのではないかと。そして私は、これは広める価値のある考えだと思うのです。
ご清聴ありがとうございました。

             大塚卿之

             otsuka.shimoda@gmail.com

             http://www.wadashigemasa.com/
ーーーーー

富士宮の小林です。

大塚さん、皆様

パソコンを変えた関係でmirokuにこの送信ができているかどうか心配になりました。

この文章を見られた人は「見た」だけでよいですので返信ください。

座禅の経験上以下のことはそのようにも思うのですが

「左脳の働きを止めて、右脳を活発にさせることがまさに坐

禅や瞑想ではないか」との思いを強くしました。

僕は脳に特化した物の見方にひっかかかるのです。

また、以下の文章は身体全体の中で脳という臓器を問題にするのならばよいと思いますが

少し気になる所です。つまり脳は心かと言うとそうは断言できないように思うからです。

さらに言うと、脳は体の中で最も大事かというとそうではない、むしろ大腸、小腸、胃つまり腹と称するへそを中心とした「丹田」こそ脳を静めるものかと思うのです。

もう少し脳研究が進めば、このことが解明されるかもしれません。

人類の脳の進化の過程で言語、論理を司る左脳に偏りすぎたことは、

不幸をもたらしたように思います。

左脳よりも右脳を働かせるような全く新たな教育システムができたら、この問題を解決できるかもしれません。

「まー、しかし、ジル・ボルト・テイラー博士の言うことは大変面白いことだと思いますが・・・・・・」


ーーーーー

Translate message

 

大塚さん、小林さん、みなさん

左脳卒中での体験は涅槃、空、無我などとは
似て非なるものと思います。脳卒中は脳事故
であり、涅槃などは正常な脳で自由に涅槃と
業世界、真実諦(勝義諦)と世俗諦を往来出
来るものですから存在のあり方、自由度、効
用など雲泥の差があるでしょう。
縁起(因縁生起)の立場からは脳を一切から
切り離して考えることも、生存・機能に於い
ての脳の重要性・独立性などを言うのにはや
はり無理があると思います。
言語野は(分離・固定化する)言語のみなら
ず全体の見通しと手順の計画性なども担うと
考えられるようになりましたから、これを欠
く右脳重視は片手落ち早計になると思います。

中3少女の平和の詩、反響呼ぶ 沖縄慰霊の日に暗唱

中3少女の平和の詩、反響呼ぶ 沖縄慰霊の日に暗唱朝日新聞 2018年7月29日 山下龍一

 6月23日の「慰霊の日」の沖縄全戦没者追悼式で、沖縄県浦添(うらそえ)市立港
川中学校3年相良倫子(さがらりんこ)さん(14)が読んだ平和の詩「生きる」が、
今も反響を呼んでいる。著名人から絶賛される一方、厳しい声もあった。相良さんは多
様な意見が出た経験を糧に「もっと大きく物事を見られる人になりたい」と話している

 相良さんの元には「詩をもう一度読みたい」「感動しました」といった手紙やメール
が全国から100通近く届いた。高齢の人が戦争体験をつづり、「平和であることは大
事だと、また新たに気づかされた」と書いたものもあった。

 自分の好きな沖縄の景色から書き始めた詩。戦争の景色は怒りの感情を出そうと考え
た。放課後、国語の先生とマンツーマンで朗読の練習をした。

 本番では6分半にわたり、原稿を見ることなく、力強い声で暗唱した。その様子が全
国に放送された。

 落語家の立川談四楼さんはツイッターで「胸を打たれた。これを本当の愛国心と言う
」。ミュージシャンの後藤正文さんは、朝日新聞のコラムで「大人たちこそ、平和への
願いを自らの言葉で発するべきだろう」と書いた。一方で「大人にやらされている」と
いった声もあった。

 予想外の大きな反響。「私の詩に真剣に向き合ってくれた人がいて、伝わっていると
感じて、ありがたかった。戦争と平和について考えるきっかけを作れたかな」と受け止
めた。

 演台に向かうときは足が震えた。そのせいか「きっとわかるはずなんだ。/戦争の無
意味さを。本当の平和を」に続く「頭じゃなくて、その心で」という一節を飛ばしてし
まった。「私と同じような普通の中学生でも、平和というのは、難しいことでもなんで
もなくて、心で感じられるものとしてあるんだよということを伝えたかったのに、ショ
ックで」と振り返る。

 慰霊の日から1カ月。改めて自作の詩と向き合って、こう考える。「沖縄の風景だっ
たり、悲しい過去の歴史だったりとかに、もう一度深く向き合って、私たちの世代が考
え、つなげていかないといけない。次の世代に語り継ぐことが私たちの役目になると思
うし、それがふるさと沖縄に対しての恩返しになるかな」(山下龍一)

「生きる」の全文

私は、生きている。/マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、/心地よい湿気を孕(は
ら)んだ風を全身に受け、/草の匂いを鼻孔に感じ、/遠くから聞こえてくる潮騒に耳
を傾けて。

私は今、生きている。

私の生きるこの島は、/何と美しい島だろう。/青く輝く海、/岩に打ち寄せしぶきを
上げて光る波、/山羊(やぎ)の嘶(いなな)き、/小川のせせらぎ、/畑に続く小道
、/萌(も)え出(い)づる山の緑、/優しい三線(さんしん)の響き、/照りつける
太陽の光。

私はなんと美しい島に、/生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、/島を感じる。心がじわりと熱くなる。

私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが/この瞬間の愛(いと)おしさが/今と言う安らぎとなり/私
の中に広がりゆく。

たまらなく込み上げるこの気持ちを/どう表現しよう。/大切な今よ/かけがえのない
今よ

私の生きる、この今よ。

七十三年前、/私の愛する島が、死の島と化したあの日。/小鳥のさえずりは、恐怖の
悲鳴と変わった。/優しく響く三線は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。/青く広がる
大空は、鉄の雨に見えなくなった。/草の匂いは死臭で濁り、/光り輝いていた海の水
面(みなも)は、/戦艦で埋め尽くされた。/火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き
声、/燃えつくされた民家、火薬の匂い。/着弾に揺れる大地。血に染まった海。/魑
魅魍魎(ちみもうりょう)の如(ごと)く、姿を変えた人々。/阿鼻叫喚(あびきょう
かん)の壮絶な戦の記憶。

みんな、生きていたのだ。/私と何も変わらない、/懸命に生きる命だったのだ。/彼
らの人生を、それぞれの未来を。/疑うことなく、思い描いていたんだ。/家族がいて
、仲間がいて、恋人がいた。/仕事があった。生きがいがあった。/日々の小さな幸せ
を喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。/それなのに。/壊さ
れて、奪われた。/生きた時代が違う。ただ、それだけで。/無辜(むこ)の命を。あ
たり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁(まぶに)の丘。眼下に広がる穏やかな海。/悲しくて、忘れることのできない
、この島の全て。/私は手を強く握り、誓う。/奪われた命に想(おも)いを馳(は)
せて、/心から、誓う。

私が生きている限り、/こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さない
ことを。/もう二度と過去を未来にしないこと。/全ての人間が、国境を越え、人種を
越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。/生きる事
、命を大切にできることを、/誰からも侵されない世界を創ること。/平和を創造する
努力を、厭(いと)わないことを。

あなたも、感じるだろう。/この島の美しさを。/あなたも、知っているだろう。/こ
の島の悲しみを。/そして、あなたも、/私と同じこの瞬間(とき)を/一緒に生きて
いるのだ。

今を一緒に、生きているのだ。

だから、きっとわかるはずなんだ。/戦争の無意味さを。本当の平和を。/頭じゃなく
て、その心で。/戦力という愚かな力を持つことで、/得られる平和など、本当は無い
ことを。/平和とは、あたり前に生きること。/その命を精一杯輝かせて生きることだ
ということを。

私は、今を生きている。/みんなと一緒に。/そして、これからも生きていく。/一日
一日を大切に。/平和を想って。平和を祈って。/なぜなら、未来は、/この瞬間の延
長線上にあるからだ。/つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。/誇り高き、みんなの島。/そして、この島に生きる、すべての命
。/私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

これからも、共に生きてゆこう。/この青に囲まれた美しい故郷から。/真の平和を発
進しよう。/一人一人が立ち上がって、/みんなで未来を歩んでいこう。

摩文仁の丘の風に吹かれ、/私の命が鳴っている。/過去と現在、未来の共鳴。/鎮魂
歌よ届け。悲しみの過去に。/命よ響け。生きゆく未来に。/私は今を、生きていく。

https://www.asahi.com/articles/ASL7S6DP8L7STPOB008.html?ref=nmail

MLホームページ: https://www.freeml.com/uniting-peace

つまり、未来は今なんだ。

この詩(平和の詩「生きる」)は6月23日の沖縄全戦没者追悼会の式次第の中に印刷されて当日参会者に配られていました。沖縄タイムスの号外でその日のうちに全文が紹介されていました(沖縄帰りの友人から7/13に資料を貰いました)。6月24日朝、私たちの中を平澤さんのテレビ音声からの文字起こしメールの波動が電撃のように走り抜けました。私は涙ながらに読みました。魯参さんとデェィビスさんの英訳に波動を感じました。英文と和文はB4に裏表に印刷して、配布する活動を始めています。

ウラジオストクから一行10名が7月17日まで8日間、私の蔵と母屋に滞在しました。
そのリーダーに託してロシア語訳をして波及を依頼しました。薬局の娘さんを通じてその教授にドイツ語訳を依頼することをいたしました。

「つまり、未来は 今なのだ」のコトバが私をとらえています。

自分たち老人たちは今の小学生・中学生に未来を準備しているといえるのか?

悪政を批判して見せていても、孫に未来を準備しているとは言えない。「いのちこそ宝」と語りかけているだろうか?

7月15日(日)は7才~13才のロシアの子ども7人を含む一行を「縄文の村」の竪穴住居と木陰の風の涼しさを体感させました。展示館での体験コーナーでは夢中でした。午後からは別会場の公民館で、日本の5才~13才の親・子の太鼓のグループ(たま川太鼓)が待っていました。太鼓の演奏を聴かせます。ロシアの子たちはロシアの歌を歌い、8才の女の子はカリンカを舞いました。7才の幼稚園児はワルツを披露ました。フォークダンスの輪に日本の子どもたちを引き入れます。その後太鼓も一緒に演奏させ、折り紙を教えあったり、七夕かざりをつくったりしていました。一人一人の感想を述べてもらいました。友好と交流の夢を互いに語っていました。

くら七世代で交歓懇親パーティを大人たちが準備しました。

「生きる」の詩を波及していく活動をして参ります。

憲法語らい場
古川ひろすけ

More Antiwar Billboards Going Up Everywhere:どこでも更に反戦広告掲揚

We started with a billboard in Charlottesville, Va., last December, and people seemed to like the idea. We put up a billboard in downtown Baltimore, MD. Individual donations kept coming in.

And groups began asking to partner with us. We put up billboards all over Syracuse, NY, including rolling around on trucks, and in Albany, NY. And groups began organizing events around the billboards and generating news articles because of them.

We now also have ads all over the Toronto subways. We have ads on bus shelters near the White House in Washington, D.C. And we’ve got 23-foot billboards going up in the middle of New York City from September through November.

Can you help us expand this work? We want to start moving these billboards and ads outside of North America as well as all over that continent. You can help in any of these ways:

1) Donate what you can to fund more billboards.

2) Raise funds locally to partner with us on putting up billboards where you are. The smaller the city, the less expensive the billboards, and the more interested the media. We’ll help you with design and purchase and nonprofit bulk rates. We’ll help you with media and with organizing flyering events, and educational events with speakers. Contact us by replying to this email.

3) Forward this email to anyone who might be interested in helping. Read about our billboards project, and share it on social media.


World BEYOND War is a global network of volunteers, activists, and allied organizations advocating for the abolition of the very institution of war. Our success is driven by a people-powered movement – 
support our work for a culture of peace.

       

World BEYOND War PO Box 1484 Charlottesville, VA 22902 USA

Privacy policy.

Global warming may be twice what climate models predict:地球温暖化はモデルの多分二倍

Date:
July 5, 2018
Source:
University of New South Wales
Summary:
Future global warming may eventually be twice as warm as projected by climate models under business-as-usual scenarios and even if the world meets the 2°C target sea levels may rise six meters or more, according to an international team of researchers from 17 countries.
Share:
     
FULL STORY

What will the future hold?
Credit: © nirutft / Fotolia
 
 

Future global warming may eventually be twice as warm as projected by climate models under business-as-usual scenarios and even if the world meets the 2°C target sea levels may rise six metres or more, according to an international team of researchers from 17 countries.

The findings published last week in Nature Geoscience are based on observational evidence from three warm periods over the past 3.5 million years when the world was 0.5°C-2°C warmer than the pre-industrial temperatures of the 19th Century.

The research also revealed how large areas of the polar ice caps could collapse and significant changes to ecosystems could see the Sahara Desert become green and the edges of tropical forests turn into fire dominated savanna. “Observations of past warming periods suggest that a number of amplifying mechanisms, which are poorly represented in climate models, increase long-term warming beyond climate model projections,” said lead author, Prof Hubertus Fischer of the University of Bern.

“This suggests the carbon budget to avoid 2°C of global warming may be far smaller than estimated, leaving very little margin for error to meet the Paris targets.”

To get their results, the researchers looked at three of the best-documented warm periods, the Holocene thermal maximum (5000-9000 years ago), the last interglacial (129,000-116,000 years ago) and the mid-Pliocene warm period (3.3-3 million years ago).

The warming of the first two periods was caused by predictable changes in the Earth’s orbit, while the mid-Pliocene event was the result of atmospheric carbon dioxide concentrations that were 350-450ppm — much the same as today.

Combining a wide range of measurements from ice cores, sediment layers, fossil records, dating using atomic isotopes and a host of other established paleoclimate methods, the researchers pieced together the impact of these climatic changes.

In combination, these periods give strong evidence of how a warmer Earth would appear once the climate had stabilized. By contrast, today our planet is warming much faster than any of these periods as human caused carbon dioxide emissions continue to grow. Even if our emissions stopped today, it would take centuries to millennia to reach equilibrium.

The changes to the Earth under these past conditions were profound — there were substantial retreats of the Antarctic and Greenland ice sheets and as a consequence sea-levels rose by at least six metres; marine plankton ranges shifted reorganising entire marine ecosystems; the Sahara became greener and forest species shifted 200 km towards the poles, as did tundra; high altitude species declined, temperate tropical forests were reduced and in Mediterranean areas fire-maintained vegetation dominated.

“Even with just 2°C of warming — and potentially just 1.5°C — significant impacts on the Earth system are profound,” said co-author Prof Alan Mix of Oregon State University.

“We can expect that sea-level rise could become unstoppable for millennia, impacting much of the world’s population, infrastructure and economic activity.”

Yet these significant observed changes are generally underestimated in climate model projections that focus on the near term. Compared to these past observations, climate models appear to underestimate long term warming and the amplification of warmth in Polar Regions.

“Climate models appear to be trustworthy for small changes, such as for low emission scenarios over short periods, say over the next few decades out to 2100. But as the change gets larger or more persistent, either because of higher emissions, for example a business-as-usual-scenario, or because we are interested in the long term response of a low emission scenario, it appears they underestimate climate change.,” said co-author Prof Katrin Meissner, Director of the University of New South Wales Climate Change Research Centre.

“This research is a powerful call to act. It tells us that if today’s leaders don’t urgently address our emissions, global warming will bring profound changes to our planet and way of life — not just for this century but well beyond.”

Story Source:

Materials provided by University of New South WalesNote: Content may be edited for style and length.


Journal Reference:

  1. Hubertus Fischer, Katrin J. Meissner, Alan C. Mix, Nerilie J. Abram, Jacqueline Austermann, Victor Brovkin, Emilie Capron, Daniele Colombaroli, Anne-Laure Daniau, Kelsey A. Dyez, Thomas Felis, Sarah A. Finkelstein, Samuel L. Jaccard, Erin L. McClymont, Alessio Rovere, Johannes Sutter, Eric W. Wolff, Stéphane Affolter, Pepijn Bakker, Juan Antonio Ballesteros-Cánovas, Carlo Barbante, Thibaut Caley, Anders E. Carlson, Olga Churakova, Giuseppe Cortese, Brian F. Cumming, Basil A. S. Davis, Anne de Vernal, Julien Emile-Geay, Sherilyn C. Fritz, Paul Gierz, Julia Gottschalk, Max D. Holloway, Fortunat Joos, Michal Kucera, Marie-France Loutre, Daniel J. Lunt, Katarzyna Marcisz, Jennifer R. Marlon, Philippe Martinez, Valerie Masson-Delmotte, Christoph Nehrbass-Ahles, Bette L. Otto-Bliesner, Christoph C. Raible, Bjørg Risebrobakken, María F. Sánchez Goñi, Jennifer Saleem Arrigo, Michael Sarnthein, Jesper Sjolte, Thomas F. Stocker, Patricio A. Velasquez Alvárez, Willy Tinner, Paul J. Valdes, Hendrik Vogel, Heinz Wanner, Qing Yan, Zicheng Yu, Martin Ziegler, Liping Zhou. Palaeoclimate constraints on the impact of 2 °C anthropogenic warming and beyond. Nature Geoscience, 2018; 11 (7): 474 DOI: 10.1038/s41561-018-0146-0

Cite This Page:

University of New South Wales. “Global warming may be twice what climate models predict: Past warming events suggest climate models fail to capture true warming under business-as-usual scenarios.” ScienceDaily. ScienceDaily, 5 July 2018. <www.sciencedaily.com/releases/2018/07/180705110027.htm>.
 
 

Must Read 1   Supported 1   
View Ratings | Rate It

 
 
opednews.comIn my run for U.S. Senate against Utah’s Orrin Hatch, I posted many progressive ideas and principles that I internalized over the years. I’m leaving that site up indefinitely, since it describes what I believe most members of our species truly (more…)
 

Share on Google Plus Submit to Twitter Add this Page to Facebook! Share on LinkedIn Pin It! Add this Page to Fark! Submit to Reddit Submit to Stumble Upon Share Author on Social Media   Go To Commenting

The views expressed herein are the sole responsibility of the author and do not necessarily reflect those of this website or its editors.

A Year After Adoption of Historic UN Treaty, Support for Nuclear Disarmament Stronger Than Ever:歴史的核禁止条約採決後一年、核軍縮支持強力に:フィン「北朝鮮は悪と言うがお前は?」

Published on
by

“More than simply demonstrating a ‘not in my back yard’ mentality, Europeans are even more strongly in favor of a comprehensive ban of all nuclear weapons worldwide than simply removing the weapons from their own soil.”

 

The UN Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons was adopted on July 7, 2017. (Photo: @TimMilesWright/Twitter)

As nuclear disarmament advocates marked the one-year anniversary of the United Nations Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons (TPNW), polling found grave concerns among Europeans regarding U.S. nuclear weapons and widespread support for the historic agreement.

The International Campaign to Abolish Nuclear Weapons (ICAN) commissioned a YouGov survey in time for the anniversary of the agreement, which the group spent years advocating for, convincing the majority of the world’s nations to participate in negotiations and 59 countries to sign. Citizens of Belgium, the Netherlands, Italy, and Germany—all of which host U.S. nuclear weapons—were surveyed.

“The survey results show a clear rejection of nuclear weapons by those Europeans living closest to U.S. nuclear weapons, and who are likely to be targets of any nuclear attack or at risk from any nuclear weapons accident,” reads ICAN’s report on the poll. “More than simply demonstrating a ‘not in my back yard’ mentality, Europeans are even more strongly in favor of a comprehensive ban of all nuclear weapons worldwide than simply removing the weapons from their own soil.”

Nearly three-quarters of Germans and two-thirds of Italians reported that they wanted U.S. weapons removed from their country, while more than half of respondents in the Netherlands and Belgium said the same.

The poll found that at least four times as many people were in favor of their country signing the TPNW, with more than two-thirds of respondents in each country favoring the treaty. Strong majorities also expressed support of financial institutions divesting from the nuclear weapons industry.

“All responsible states should prohibit nuclear weapons by joining the UN Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons,” said Beatrice Fihn, executive director of ICAN. “By doing so, they would not only listen to their citizens, they would also fulfill their key responsibility: protect its populations from one of the worst atrocities on the basis of international human rights precepts.”

The treaty has been open for signatures the the United Nations headquarters in New York since September 2017. Once fifty nations ratify the treaty, it will enter into force. Eleven countries—Austria, Costa Rica, Cuba, Guyana, Mexico, Palau, Palestine, Thailand, Venezula, Vietnam, and the Holy See—have ratified the treaty since it was adopted one year ago.

The “Italia, Ripensaci” campaign (meaning, “Italy, Reconsider”) delivered to the federal government 31,000 postcards from Italians and 150 resolutions from local officials around the country, imploring officials to sign the treaty.

Spanish peace activist Carmen Magallon also called on Spain to sign the treaty.

Meanwhile, ahead of this coming week’s NATO Summit in Brussels, protesters held a “Yes to Peace, No to NATO” demonstration in the city.

None of the NATO nations participated in treaty negotiations with more than 135 of the world’s countries. Some of the nations host U.S. nuclear weapons, with officials claiming that the American nuclear arsenal is necessary for their security, and several have weapons of their own.

“This treaty has already caused a lot of difficult conversations, particularly in NATO alliance and umbrella states, about their roles and responsibility for nuclear weapons. One of the strengths of the treaty is that it has called out countries that are complicit in nuclear proliferation,” Fihn told the Bulletin of the Atomic Scientists this week. “It’s easy to look at North Korea and say, ‘Bad, they are bad,’ but you have to look at yourself as well, what you’re participating in, what you’re accepting, what you’re allowing to happen in your name.”

This is the world we live in. This is the world we cover.

Because of people like you, another world is possible. There are many battles to be won, but we will battle them together—all of us. Common Dreams is not your normal news site. We don’t want clicks. We don’t want advertising dollars. We want the world to be a better place. But we can’t do it alone. It doesn’t work that way. We need you. If you can help today—because every gift of every size matters—please do. Without Your Support We Simply Don’t Exist.

Share This Article