戦争否定・絶対的非暴力を貫いた人北御門 二郎さん:

戦争否定・絶対的非暴力を貫いた人北御門 二郎さん:
描きおろし:http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-292.htm
あの人に会いたい:https://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/detail.cgi?das_id=D0016010529_00000
 
拡散・共有して戦争を廃絶しよう!
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魯参さん、
ありがとう。
北御門さんは1913(大正2)年生ですから、このインタビューが放映された2000(平成12)年
には87歳、その4年後の2004(平成16)年に91歳でこの世を去っておられます。
この20歳年長のひとのことを、ロシア文学に首をつっこんだあたりから、なぜか、知ってました。
このインタビューに接して感無量です。
(書きおこしをつけてくれてありがとう! わたしにはありがたかった!)
感想みっつ。
ひとつは、このひとの徴兵検査が1937(昭和12)年でよかったってこと。
ぎりぎり、でした。あと3年、いや2年後だったら、きっと、こういう幸運にはめぐりあえなかったでしょう。
ふたつめ。
農にいそしむ土地があってよかった。小作人のむすこだったら、こうはすんなりいかなかったでしょう。
農こそは生の根幹。このことはむかしもいまもかわらない。
ただ、これが「農本主義」となっていくと、あやうい。
「有機農業」などとことさら言うことはない。
このひとにとっては農業とはそれ以外のものではありえなかった。
みっつめ、
トルストイとドストエフスキーとの晩年をついつい比較してします。
ドストエフスキーは、作品のなかでは、人間の深い暗闇を描きだしている。
貴族といっても最低身分の貧乏なくらしで、
伯爵で生活にこまっていないトルストイが高い稿料をとっているのに、
なんで、このおれの稿料はこんなに安いことかとぼやいていたこともある。
その安い稿料も出版社主からの前借り(著作権を売って)ばかりだった。
しかし、幸運な晩年をおくり、名声につつまれて死んでいる。
トルストイは、どちらかというと巨視的な視点で時代そのものを描いた。
「復活」と「アンナ・カレーニナ」はのぞいて、だが。
由緒ある貴族(伯爵)で、領地をもっていて、生活にはこまらなかった。
しかし、死ぬまえに、身分も領地も妻も棄てて家出し、
だれにも知られずにのたれて死んだ。
あとは、感想と言うよりは、おもいついたこと。
北御門さんがこのインタビューのなかで触れている「イワンの馬鹿」は、
いくたび読みかえしても、すばらしい。
感動のあまりなみだがでるといったことではない。
しみじみと、戦争ってことのあほらしさがむねにつたわってくる。
「悪魔」のしわざで、イワンの国に、他国の侵略軍が入ってくる。
しかし、この国の百姓たちは、およそ「侵略」とはなになどを理解していない。
侵略軍の兵隊に、なにも暴力などふるうことないよ、
ほしいものはなんでも、もっていっていいから、としか言わない。
いっさい、抵抗ってことをしないのです。
侵略軍の兵隊たちは拍子抜けしてしまって、戦意を消失する。
寓意だけをくみとる作品ではない。
文体も構成もすばらしい。
ロマン・ロランはトルストイの思想に共感していた。
ガンジーの思想にも共感していた。
その共感はほんものだった。
日本でもトルストイの思想に共感した作家たちはすくなからずいた。
しかし、それらの作家たちが、いずれも、戦争にからめとられ、戦争を賛美するにいたる。
このひとたちの共感はほんものじゃなかったのだ。
北御門さんの共感だけはほんものだった。
ひこ

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