原爆紙芝居完成・見せます!平和は明るい

みなさま
 
こんにちは。
魯参さん、「長崎キリシタン史ツアー」のお知らせを転送して
くださってありがとうございます。
 
5月から取り組んでいた原爆紙芝居がやっと今日完成しました。
毎年1作ずつ描いて、今度で5作目になります。被爆者の方から、
屋根瓦の色や服装など細部まで色々教えていただきながら
「直接聞くことの大切さ」を痛感しています。爆心地を通った
「時間」によって川の水位が違ったり、地面の色が違ったり。
白黒写真からはわからない「色」も、未来へつなげるたいせつな記憶。
 
多くの方が口をそろえるのは、「平和は明るい」ということです。
戦時中は空襲をさけるための灯火管制で、電球には覆いをかけて
暗くしなければならなかった。戦争が終わって、家々の窓に明かりが
灯ったのを見たとき、「平和ってこんなに明るいんだ」と多くの方が
感じたそうです。もう「暗い」時代を繰り返さないために・・
高齢化する被爆者の方の分まで記憶を伝えたい。紙芝居を持って
かけつけますので、皆様、いつでも声をかけてください。
西岡由香
 
Attachments area
原爆紙芝居.jpg
ーーーーー

由香さん、みなさん

原爆紙芝居五巻の完成おめでとうございます。
添付の一枚も命が払しょくされた世界の三途
の河を累々たる死体を踏みながら魂を失って
彷徨する世の末が迫真的に描かれていますね。
それを実体験した人達の証言を取り込めた作
者の幸運の傑作です。しかもその五巻を持っ
て伺います」と言うのですから拡散・確証を
してもらうように共に努力しましょう!!!
もう一時を回っており五時には起きないとい
けないので返信のみにしますがブログ・ML
の拡散をさせてもらいます。みなさんにも宜
しくお願します。
ーーーーー

 

魯参

「平和は明るい」についてコメントをした

かったのですが時間がありませんでした。

私は新潟の片田舎に住んでいましたが、
空襲警報のサイレンが鳴れば電球には覆い、
窓にはカーテンを引いて爆撃機が通り過ぎ
警報解除まで息を殺して待ちます。世の中
一切が殺し合いへの総動員ですから心の中
が真っ暗になるのは当然です。
「華開世界起」:桜が咲けば春ですが、花
一輪が部屋を新世界にします。核は世界を
暗くします。平和の俳句に次の一句があり
ました:
同じ句集には次の句があり、人間を非人間
(人非人)にするのが戦争です:
その異常を正常にするのが一切人間・生類
の真理・倫理でしょう。そしてそれは可能
なだけでなく生き物としての真実・道徳で
しょう:
核の傘ではなく九条の傘を世界に広げ一切
生類の絆を早く強化しましょう:

 

ーーーーー

ゆかさん、魯参さん、みなさん、
ゆかさん、
「キリシタン史ツアー」の案内人にはまさにうってつけですね、あなたは。
わたし自身は、おかねと体調とのふたつの原因から、参加はあきらめますが、
さぞかしたのしくみのりの多い旅になることでしょう。
いえ、そうなることを切望します。
「平和は明るい」に、いまさらながら、感無量でした。
灯火管制がなくなった、もう黒い傘などつけないですむ、暗幕みたいなカーテンも
はずしていい、防空壕のくらやみのなかで耐えなくていい、といった、
きわめて即物的な(sachlich)感情は、端的に戦争がおわったという「感覚」を
なによりも雄弁にものがたっているからです。
さらにいえば、「戦争がおわった」という感覚は、「平和になった」という感覚と、
じかにむすびついてはいなかったようにおもいます。
「戦争がおわった」のほうは直接的に体得しうることですが、
「平和」という概念は、そのころの日本人にとっては、無縁なものでしたから、
戦争のない状態を平和と呼ぶという感覚はなかったとおもいます。
「平和は明るい」というのは、戦争がおわってそうとうの年月を経ている
このいまになって、むかしをおもいだして、そこではじめて出てくることばなのだ、と、
わたしにはおもえてなりません。
ところで、みなさん、
戦時下、つまり戦争中のひとびとのくらしを感覚的にとらえることのできない
戦後の世代のひとたちは、ともすれば、あの時代を、ひとしなみに暗黒時代だったと
おもいがちでしょうが、どっこい、どんな状況のもとでも、人間のくらしってものは
そうそうことなるものではない。
そしてまた、本州・四国・九州とそのまわりの島々でのくらしは、一様でなかったどころか、
ところによっては、天と地ほどのちがいがあったってことも、ついつい、見のがしてしまいがちです。
あの時代を生きた者ですら、あとからふりかえり、おもいだしてとらえる時代相と、
じっさいにそのときそこにいて体験したそれとの懸隔はそうとうに大きいものです。
ごくごく概念的に、たったひとつのことだけとりあげても、
たとえば、灯火管制はほぼ全国的に敷かれていたと見ていいけれど、
じっさいに空爆を受けたのは、東京・大阪などの大都市だけでなく、
地方の県庁所在地くらいの中小都市もではあるけれど、
都市から離れた山村では、事実上、なんにもなかった。
「明るい」「暗い」ということにじかにかかわるおはなしをすれば、
じっさいに、1945年の5月、つまり東京が3月大空襲の被害を被り、
阪神・中京地帯も熾烈な空爆にさらされ、わたしのいた仙台でも、
空爆によって市の中心部は壊滅したその時期ですが(もっとも、
この空爆はわたしたち一家が出発してまもなくのことなので、
わたしたちは体験していないのですが)、この時期に
「満州」の先端「遼東半島」の軍都旅順に着いて、なによりも
おどろいたことは、戦争など遠い遠いかなたのできごとで、
旅順市内でのくらしは、またく「平和」そのものであったことでした。
灯火管制はたぶんここでも実施されてはいたのでしょうが、しかし、
じっさいに市内が暗かったという記憶はない。
いちおう配給制は「内地」とおなじく実施されてはいたけれど、
そのじつ、なんでも好きなものは好きなだけ買えたし、
飢えにくるしむひとなどまったくいなかった。
仙台にいたころは、わたし自身、飢えていたというのに。
旅順にいて空襲警報のサイレンを耳にしたことは一度もなかった。
国民服や巻き脚絆、戦闘帽といった服装の強制、
軍事教練が熾烈であったこと、
学校の校庭が農地と塹壕とに変ってしまったこと、
ふつうの授業がなく、農作業と軍事教練だけだったこと、
そんなことで、たしかに、戦時下であることは意識させられていたけれど、
しかし、じっさいに空襲を受けなかったので、
戦争がピンときてなかった。
天皇の「玉音放送」も聴いたのは先生がただけで、
わたしら生徒は、校庭に整列して待っていただけでした。
ですから、校長先生が「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」と訓示しても、
なんのことやらわからなかった。
敗戦という現実が、感覚的にピンときてなかったのです。
敗けたのだということは、そのうち、ひしと感じることになっていくのですが、
以上のべたような諸点で、敗戦の体験は、「内地」のそれも都市にくらしていたひとたちとは、
天と地ほどことなっています。
ひこ
ーーーーー

皆様

 

こんにちは。

今日、被爆者で構成される「紙しばい会」が開かれ、私が描かせて

いただいた紙芝居も発表されました。

先日、ご遺骨を集めた東本願寺の「非核非戦の碑」を紹介しましたが

被爆者の方から「紙芝居にご遺骨を描いてほしい」と依頼されました。

「こういう碑があることを多くの方に知ってほしい」と。

正直、うろたえました・・私が目にしたご遺骨を・・どうやって

描いたら良いのだろうって。

その時、思い出しました。8月6日、大分県臼杵市で講演したとき

「臼杵の石仏」の近くへ連れて行っていただいたことを。

石仏は山の中腹に彫られているので、そこまでは登れなかったの

ですが、山のふもとに広い蓮池があり、うつくしいピンクの蓮の

花が、まるで手のひらをあわせるように咲いていました。

それで、描いたのがこの絵です。

ひこさんが以前書かれていたことばを思い出しています。

「死者を供養するやり方は人それぞれで良いのだ」と。

ある人は音楽。ある人は行動で。

この絵も、彼らへの供養になれたかなあ・・

毎月9日にはお寺で法要が行われているとか。来週、行ってきます。

 

西岡由香

 

       

Attachments area

 

非核非戦.jpg

ーーーーー

ゆかさん、

 

よくぞ、でかした!

このまえ、沖縄の遺骨の写真を紹介しましたね。

あの写真だって「ありのまま」をただ写しとったものではありません。

 

まして、絵は、「きもち」をつたえるものでしょう?

あなの絵には、あなたのこのいまの心情がうつしだされています。

あなた自身の「私的な」きもちがこめられた絵は、そのまま、普遍性をもつ、

つまり、見るひとのきもちにひびくはずです。

 

わたしは、ゆかさんがおぼえていてくれたように、

わたしにはわたし「だけ」の「とむらい」かたがあるのだとおもっています。

「とむらう」という動詞には「かなしむ」きもちと「いたむ(悼む)」きもちの両方が

ふくまれています。

 

かなしむこともいたむことも、本来、私的な行為です。

みなでよりあつまってするものではありません。

 

そういうと、一般におこなわれている式典を否定しているように受けとられるかもしれない

ので、ひとことつけくわえておくと、わたし自身は、みんなでとむらう行事には、

長崎の原爆被害者の「慰霊祭」のような特別のばあいをのぞいて、

出席はしません。

けれども、そういうやりかたを否定もしなければ、わたしのやりかたを、わたしではないひと

に押しつけるつもりも毛頭ありません。

 

たとえ、みんなでよりあつまってとむらいの儀式をやったとしても、

たいせつなのは、そこに出ているひとりひとりのおもいです。

だから、こうしなければとむらったことにならない、

それでは死者の魂を慰霊したことにならない、

などというひととは、ぜったいにおなじきもちにはなれません。

 

国家の慰霊が、どんなに「厳粛に」おこなわれようと、

ぜったいに、死者の霊をほんとうになぐさめることにならないのは、

むろん、本来純粋に私的な好意であることを、

国家が代行することなど不可能なだけでなく、

みんなでよりあつまって(集団的に)おこなうからだ、

と、わたしは考えています。

 

「紙しばい」という、映画もろくに見られないしテレビなどなかったわたしの時代の

こどもたちの唯一のたのしみが、あらゆる映像が氾濫しているこの時代に

復活していることには、深い意味がくされているように感じています。

芝居は舞台を必要としますが、紙芝居は、絵を順番に送りだして見せる

カンタンナ道具があればすぐにでも「上演」できます。

いいおもいつきですね。

 

ひこ

ーーーーー

由香さん、みなさん

早速、原爆被爆者たちの会の「紙しばい会」で

発表のニュースを有難うございました。

「遺骨を描いてほしい」の要望に「どう供養す

るか」を思い、広い蓮池の「合掌するような蓮

を想い」描かれた発想も作品も素晴らしいもの

ですね。遺骨も薄緑に彩られて鎮魂され「共に

生きよ」の言葉を発し、蓮池全体が、泥田に染

まらず、蓮の葉の水滴に描かれるように、清ら

かに咲くように古来のメッセージを伝えて画面

全体が明るく希望に満ちているようです。地獄

の絵図の原爆の惨禍を伝える紙芝居の中にこの

ような明るい絵を加えられたことは未来への希

望を与えてくれるものです。蓮の花は俗世界を

超えた涅槃悟りの世界・極楽浄土(原語sukha-

vatiは幸せに満ちたという意味で空間的場所を

表すのではなく涅槃の状態)を表し一切への供

養(可能性・実際)を表すものですから大成功

ですのでご安心下さい。

 

早速、平和世界のサイトの「非核非戦」と「紙
芝居」の両方記事に追加させてもらいますので

ご了承ください。

魯参

 

ーーーーー

ひこさん、魯参さん、みなさま

 

おはようございます。(日本は朝です)

昨夜「投稿してよかったのだろうか・・」と思いつつ眠りについた

ので、今朝、ひこさんと魯参さんのあたたかいメールに救われる

思いでした。ありがとうございました!

魯参さん

「蓮の花は俗世界を超えた涅槃悟りの世界・極楽浄土(原語sukha-vati

は幸せに満ちたという意味で空間的場所を表すのではなく涅槃の状態)

を表し一切への供養(可能性・実際)を表すもの」

 

そうなんですね!知りませんでした・・

無意識に蓮の花を選んだつもりでしたが、実は死者たちが「描かせて」

くれたのかもしれません。

 

ひこさん

「とむらう」という言葉で、アイヌことばの「トムラウシ」という

ことばを思い出しました。(同じ名前の山があるので)

意味は色々あるようですが「花が多いところ」もひとつの意味だそうです。

――ただ滅亡の世せまるを待つのみか ここにおいて われらなお

地上にひらく 一輪の花の力を念じて合掌す――

(石牟礼道子さん「花を奉る」より)

花の力を念じて合掌する。あわせる手は自らの両手でなく誰かの手で

あってもいい。花弁のひとひらのような絵を奉りたい――ひこさんの

ことばに、そう励まされました。

 

「花を奉る」の全文はこちらです。

http://www.asahi.com/special/kotonoha311/ishimuremichiko/

 

西岡由香

      

ーーーーー

魯参さん、ゆかさん、

 

けさは意識的に寝坊して、8時すこしまえにおきだし、すぐに、

魯参さんとゆかさんの文章を発見、うれしかった!

 

たしかに蓮には、魯参さんが説いてくれたように、とくべつな意味があります。

それを知らないひとでも、泥のなかからあのように美しい花がひらくことに

衝撃をおぼえた体験をもっているでしょう。

 

そこへ、ゆかさんが「とむらう」から「トムラウシ」へそして石牟礼さんのすばらしい詩

「花を奉る」へと連想をはたらかせ、この詩の全文を紹介してくれた。

 

この詩は、まだ知らないでいました。しかし、

石牟礼さんならごく自然にこのおもいをやしなっておられるのだろう、と、

一読、直観しました。

 

「われら人類の劫塵いまや累なりて/三界いわん方なく瞑し」、このひとことで、

このいまわたしらが生きている(ことを余儀なくされている)この世界を

あますところなく表現してくれています。

 

まなこを「沈めて」とか、花がまさに咲こうとするのを「聴く」とか、

意表をつく動詞をもちいることによって、

いいふるされた常套句では感得しえない深い感動をよびおこす、

この石牟礼さんのこの感覚!

 

感動したところを引こうとしたら、けっきょく、全編を引くほかなくなったので、

それは断念します。

この詩をおもいうかべたゆかさんの感性に、かぎりないしたしみをおぼえました。

 

石牟礼さんの『苦界浄土』が世におくりだされたとき、わたしは、

モスクワ大学の大学院生・講師クラス用の宿舎に起居していました。

なぜそんなところにいたのか?

それを語りだすとながぁいおはなしになってしまうので、はぶきます。

 

とにかく、この本を、すぐに、白井愛からおくってもらい、

受けとったその日は、読みおえるまで、ねむることさえわすれて、

この本の世界に生きたことを、いまなお鮮明に想起しえます。

 

そんなにたいせつな本なのに、いま、手元にはない。

だれかに貸したままになったらしい。

だから、おぼろげな記憶をたよりに書くのですが、

感動して、なみだがとまらなかった挿話があります。

 

やっと手に入れた小舟で沖に出て漁をする夫婦ふたりのはなしです。

男女平等とかいったリクツをこねるまえに、ここでは、まずしさのゆえもあるけれど、

「夫」と呼ばれる男と「妻」と呼ばれる女とが、

おなじ労働の現場で、協働している。

ごく自然に。それ以外のありようはありえないゆえに。

 

いえ、感動したのは、そこだけじゃないんです。

もっともっと深い感動がしわぁっとわきあがってきたのは、

このふたりが、これから釣りあげる魚たちに語りかける場面でした。

 

アイヌが熊祭りをするように、この夫婦は、捕食する魚たちに

語りかけながら釣りをしている。

そのすがたにも、そのことばにも、一点のくもり(不自然さ)もない。

 

「自然の摂理」ということを、ごく自然に、おもいうかべずにはいられませんでした。

このふたりは、知識のあるひとたちとちがって、自分らがなにをやっているのかを

説明などしない、いや、できない。

しかし、その行動で、自然のなかで生きるすべての生きものとともに生きている

おのれのありようを、すなおにあらわしている。

そのすがたを、石牟礼さんは、この詩「花を奉る」のなかにあらわれているのとおなじ

自然さで、えがきだしていた。

 

魯参さん、ゆかさん、もういちど、ありがとう。

 

ひこ

ーーーーー

由香さん、ひこさん

由香さん、ひこさんの思い・引用を有難う

ございました。引用の「花を奉る」は真に

思い深く言葉の魅力のある詩ですね。愛語

は相手を愛しての言葉だけでなく言葉を愛

して止まないから生まれる言葉でもあるの

ですね。各人の世界は各人の心だが又各人

の言葉であり深められ練りに練られて出て

くるものが真の愛語ですね、離しようもな

く繋がっている、そして詩も絵も花も手も。

思いが蓮池を呼び起こし、蓮の蕾を呼び出

し合掌の手になり他者の手にも願いにもな

り骸骨の浄土にもなる。共に達したい浄土

が極楽になり、別れて倒しあう俗世は地獄

になる。それが判らないから俗世があり地

獄になる。「共に生きよ」が蓮華世界であ

ることを明るい絵は呼びかけている。

このスレッドを平和世界サイトに転

載、mirokuMLに転送させてもらい

ます。

魯参

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中