キルギス・カザフの旅の報告

その一

カザフでもキルギスでも、日本を知らない人はありません。
「ヤポーニヤ」(日本人)とこちらから声をかけると、誰もが「トーキョー」と言って、握手してくるし、時には抱擁してきてスマホで自分を含む写真をとります。日本人は「幾多の災難を乗り越えてきている民族」と尊敬されているというのです。そればかりではありません、とくにキルギス人とはよく似ていて遠き兄弟のようです。

私たち一行21人は「VIP」扱いを受けて、反核対論集会でも、平和フォーラムでも共催者でした。民族音楽交流では日本から大由鬼山さんの尺八の演奏ただ一人、私は絵筆を走らせていた。

ひろすけ

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その二

「ユーラシア新時代~カザフとキルギス平和・友好・文化交流の旅~」
*8.29カザフスタンのセミパラチンスク核実験場閉鎖記念反核対話集会
*8/31キルギスタンでのフォーラム「グローバル化時代における平和と協力」
*9/2~5第3回世界遊牧民競技大会開会式参加と見学

アルマティとビシュケクとイシク・クル湖畔とキルチン渓谷とカラ・コルを移動した。

中央アジアはソ連邦崩壊の中で、核実験場を閉鎖、1991年に建国した国々である。カザフスタンはソ連解体後保有していた戦略核兵器を1996年に放棄した。
中央アジア5か国は2009年に非核兵器地帯条約を発効し、米ロ中など核保有大国がこの・条約を尊重する議定書に調印している。

いまや、ユーラシアは平和・経済・政治・文化の発展で沸き立っている。
カザフスタン民族農業大学が反核対話集会の会場となりましたが、カザフスタンのナザルバイエフ大統領の強い政策が反映されていることが証明されていることを感じました。

カザフスタンには130の民族があります。
大統領は「民族の平等・共同」を打ち出しています。
この大学には22種の
民族出身者が一定数いる。だから私たちの出迎えは入れ替わり立ち替わりの民族歌舞でした。共同の研究活動も見せてくれた。学内にはネバダ・セメイ反核運動博物館がある。
平和を正面から国家として取り組んでいる姿といえます。

2014年から2年毎にキルギスで開催してきた遊牧民オリンピックは次回(2020年)トルコ開催となります。五大陸60か国の参加でした。新聞報道を持ち帰りたかったのですがそれはかないませんでした。
英語でWORLD.NOMAD・GAMESと訳されていますが、不当に感じます。遊牧民文化は地球環境を守り、「いきもの」の誇りを感じます。
人間の競技のオリンピックにではできない未来地球を支えるように感じます。
ユーラシア新時代を報道から外しておくことは、いつまでもできやしない。
日本における民族の平等・共同を考えるのが「未来を準備する」といえないか?
第3回遊牧民オリンピックでは、日本のアイヌの参加を確認しました。計らいで文化交流で大由さんの尺八演奏があり会場を圧巻しました。

ひろすけ

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その三

アバイについては、カザフでは、顕彰もされ、なにかグッズとか本が入手できるものと期待していたが、そうはいかなかった。アバイの名については知られているようだった。

年輩者はソ連邦を生きてきたのでロシア語で話すという。カザフ語もキルギス語の場合もむしろ教育を受けた若い年令層層のようだと言う。
地名がラテン文字化するのはあまりすすんではいない。ALMATYはラテン文字化していましたがキリル文字からでは発音が変わってくる。観光地の出版物には、キリル-ラテンが並べてあり、英文解説が付いていた。

看板にはラテン文字といえば英語という感じでカザフ語キルギス語のラテン文字化は進んでいないように思いました。映像を見て検証して貰うことになるでしょう。私は写真記録を残していないので印象的感想でした。

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その四

第三回遊牧民オリンピックの開会式は9月2日の20時に始まった。席次はVIPカードに既に刻印されていた。イシク・クル湖畔に、ユルタ(遊牧民の家)・山並み・太陽のかたちをした巨大なスクリーンが夕闇に飲まれて行ってからの開会だった。スクリーンの前に舞台があり広大な演舞場かひろがりさらに馬の競技場が広がっていた。
壮大な遊牧民の歴史が展開されて、そのあとの選手団の入場です。
心底から感動いたしました。発表されていく国名をメモしていたのですがついていけなかった。五大陸にまたがる60カ国であった。翌日の新聞を求めたけれどキルギスは週刊紙のようで、確実な参加国はついては確かめることができなかった。
カザフのフテレビでは60局近く見れるけれどその内二局ほどでニュースとなっていた。
私たちの映像記録は貴重なものとなると思います。選手団「日本」の中にアイヌを確認しました。
9月3日のキルキン渓谷の民俗村には1000のユルタがあつまってるといわれていた。ここでオリンピックのマーク入りキーホルダーをたくさんみやげに買ってきた。この渓谷での会場も壮大なもので、日中世界の民俗文化が披露されていった。馬による歴史上の戦闘や、砲丸投げ、棒柱投げ等もあった。
9月4日の会場は夜の会場で8時から11時前まで観た。10分の演奏でしたが10:30になってから、大由鬼山の尺八、続くアイヌのムックリ・トンコリの演奏が会場を飲み込んだ感動がありました。
9月5日には、開会式の同じ会場で正午「蒼き狼」を観た。12騎が4騎馬ずつ20分を争い、地上の羊を自分のゴールに投げ入れる競技です。
蒼き狼とは、狼のリーダーです。そのリーダー性を人間が学んだことに由来します。
日本では全く報道されてはいませんでしが、「WORLD・NOMAD・GAMES」’で検索すればインターネットでみることができたと言ってくれた人がありました。

ひろすけ

 

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古川さん、

報告が完結するのを待っていました。
いくつか感想があります。

その1.
キルギス、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタンのうち、 

わたしがじっさいに訪れたことのあるのはタジキスタンだけですが(1960)、
これら諸国はソ連邦が解体して独立することができたのですが、独立国家共同体
(Comoonwealth of Independent States, ロシア語ではラテン文字転写でSNG)に
加盟しています。
バルト3国ははじめから加盟せず、ウクライナとジョージアは正式に脱退したかは
不明ですが、実質上脱退しています。
中央アジアの前記諸国とロシアとの関係が事実上どうなっているかが知りたかったので、 
その指標のひとつとして、看板の文字表記がどうなっているかを質問したのでした。
その2.
独立してよかった最大の点は、核実験場でなくなったことですよね。これはカザフスタン
だけの問題ではないとおおいます。
その3.
一方、いま世界のひとびとが、たぶんこの当事国のひとびとも、ソ連邦が崩壊して
独立してよかったことは理解していても、ソ連邦に加盟する以前、この地域の
ひとびとがどういうくらしをしていたか、とりわけ女性たちがどのような境遇にあったのかは、
完全に忘れているか、そのもそも知っていないかでしょう。
ひとことでいうと、女性の人格はまったく認められていなかった。
夫は、妻が夫以外の男と口をきいたというだけで「斬り殺す」ことができた。
殺しても罪には問われなかった。
「革命」の最大の貢献は女性の解放だった。
「革命」後の文学作品にそのさまががえがかれているし、
タジキスタンを訪れたポール・ニザンがその事実を報告してもいます。
このような歴史を現地のひtびとはどの程度知っているのかしら?
その4.
NOMADとは遊牧民のことですが、このWORLD NOMAD GAMESにアイヌ民族の
代表が参加しているってことは、この祭典が実質上、ヨーロッパ民族だの漢民族
だのといったマジョリティから疎外されてきた少数民族の祭典であったのでは
ないでしょうか?
だとすれば、オリンピック以上に価値ある祭典だったのですね。

ひこ

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その五

カザフのMAP「Silk Road in Kazakhstan」(BRITISH AIRWAYS)が手元ににある。ここではカザフスタンの地名はすべてラテン文字となっている。キルギスの生徒用の8クラス、9クラス、10クラス用のアトラスを買ってきたがこれを見るとすべてキリーク文字だ。キルギスの国名はラテン文字で書かれてこそいるがキリーク文字と併記されていた。観光地のパンフレットには併記され、英文解説も付くという感じだった。
中央アジア5か国の地図は無かった。しかし、中央アジア非核兵器地帯をなして、平和のシステムを歩いていることだけは十分つたわってきた。
ユーラシア経済共同体をロシア、ベラルーシ、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キリギスが加盟して2010年以来ユーラシア新時代に入っているといえそうだ。

2014年にキルギスを舞台に始まっている遊牧民オリンピックは、特記すへきこととおもう。2018年は伝え聞くところによれば、82カ国から選手があつまっていたという(第2回は60カ国)。2020年はトルコが主催国といいます。ワシントンルートの情報からこのオリンピックを外すことはもはややってはいけない。地球環境を守る英知は遊牧民文化の中にあるのではないかと思えてならない。

ひろすけ

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その六

キルギスの書店で、キルギス共和国の大きな地形図と行政図を買ってきていた。改めて見てみると、地形図の方はキリーク文字でしたが、行政図の方は全てラテン文字でかかれありました。
中央アジア5カ国はどの国も地名のラテン文字化がすすめられていることが考えられます。

 

ひろすけ
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その七

核実験場閉鎖記念日(カザフ)、独立記念日(キルギス)、遊牧民オリンピック(キルギス)への参加でした。
中央アジアでは、「すでに平和のシステムを歩んでいる」というのが実感でした。
共に独立(1991年)、共に非核化(2009年)、共にに済復興(鉄道・高速道路・石油ガスパイプライン)(2010年)、共に文化交流。優しさと沸き立つ活気を感じてまいりました。
民族の平等・共同、宗教の平等・共同が今日テーマとなっている。
2014年から2年毎に重ねてきている遊牧民オリンピックの偉大な事業に満身の感動をおぼ
えます。

これが日本では一切報道されてはいないことは、未だに日本は「朝鮮戦争」の戦時下にある異常さに国民まること覚醒できていないところにあるとおもいます。真の独立と非核兵器化を実現していくことが課題であると感じます。朝鮮半島の完全非核化に関して共に「平和‘のシステム」を構築していく日本のあり方の論議を始めたいとおもいます。

ひろすけ

 

最後に第3回遊牧民オリンピックのオリジナルマークをを贈ります。
nomad games.jpg
ーーーーー

ひろすけさん、

やはり、つづきがあったのですね。
「その5」でおわるはずがないとおもってました。

《中央アジアでは、「すでに平和のシステムを歩んでいる」というのが実感でした。》 

このことをあなたが体験したこと、それをわたしたちにそのままつたえてくれたこと、 

これがこの旅の、わたしたちにいとっての、最大の恩恵でした。

たしかに、これらの国々は「ソ連邦」という、どう考えてもマジョリティのロシア民族中心の国家の
「周辺」にしか位置づけられてこなかった、
それだけでなく、アジアではながいあいだ漢民族や満州民族の「帝国」によって
辺境の野蛮な連中としかみなされたこなかった、
しかし、紀元前からの古い歴史と伝統をもっている諸民族が、
いまや、「ソ連邦」崩壊を奇貨として、文字どおり生気をとりもどし、
あたらしい未来をつくる先がけとなっている、
この事実をつたえてもらっただけで、
もう、感慨無量です。

あなたに要望したのを機会に、わたしも、カザフ語やキルギス語についてしらべてみました。
そのさいカギになるのは「公用語」ですね。
キルギスでは、公用語はロシア語で、キルギス語は「国家語」といういささか苦しいあつかいに
なっていて、目下キルギス語の普及に力を入れているようですね。
言語表記についても、キリル文字から脱却できるのはまだ先のことでしょうが、
おなじキリル文字でも、ロシア語表記ではつかわれないHとYとθとがつかわれているようです。

カザフスタンでは公用語にカザフ語とロシア語とを指定しているけど、じっさいにはロシア語をはなす
ひとびとの割合が圧倒的に多く、カザフ語化を政策として進めているようです。
同時に、キリル文字からラテン文字への切り替えにも努力しているとのこと。

表記に関する問題はじっさいにはかなり複雑ですね。
日本でも、ことばはあっても文字がなかった時代がながく、ようやく漢字で日本語を表記する
ことをおもいつき、いまおもえば、かなりムリなつかいかたさえされていたけれど、
そのうち「仮名」が仮の文字ではなくなって、「ひらがな」とカタカナと漢字という
ほかの世界のひとの意表をつく混淆をやってのけ、おまけにいまではラテン文字も
おおっぴらにつかわれています。
しかし、旧植民地や、大国の版図にふくまれてしまっていた地域では、
言語はあってもどの文字で表記するのかが思想的な問題になっています。

キリル文字は、ロシア語表記だけのものではなくスラブ語族に属する諸言語で
ひろくつかわれていますし、世界には、わたしたちのとってはなじみはうすかもしれないけど、
アラブの世界で広くつかわれている文字や、タイなど東南アジアの諸地域でつかわれている
文字、梵語の表記にもちいる文字などいくつもの有力な文字があります。
ハングルなんていう人工的につくりだされたためにすぐれた特性をもつ文字もあります。 

ラテン文字だけがすぐれているわけではない。

けど、カザフスタンやキルギスでラテン文字への切り替えが進められていることには、 

やはり、旧ソ連の影響を払拭したいというきもちがはたらいているのでしょうね。

ジョージアという国名はアメリカの州の名とまぎらわしいのですが、しかし、
国内で自国名としてつかわれる「サカルトヴェロ(Sakartvelo)」では、
国際的に認知されにくいので、といってロシア訓みの「グルジア」はもうつかいたくないから、
苦肉の策として「ジョージア」にしたらしいです。

そうそう、カザフ語はその国内だけでなく、あの一帯、つまり、
アフガニスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウクライナ、ウズベキスタン、
トルコ、中国、モンゴル、イラン、ロシアにわたってつかわれ、話者数は800万人
であるそうですし、
キルギス語も、キルギス以外に中国のウイグル自治区、カザフスタン、ウズベキスタン、 

タジキスタン、アフガニスタン、トルコで話され、話者数は300万から500万といいます。
いずれも有力言語であるでしょう。

というより、国名はちがっても、文化的にはひろくつながりのあるひとつの地域と言っていいのでは
ないかとおもいます。「スタン」という語尾はペルシア語由来で「なになにの多いところ」という
意味だそうですが、キルギスにしてもキルギスタンと言っていたときもあり、あの一帯は、
そこから見ても文化的に密接な関係のあるところなんでしょうね。

ーーーーー
ひこさん、みなさん

帝国主義・金儲けの為に地方文化・命重視が失われ
る為に言語がどんどん無くなっています。言語はそ
の土地・生命・生産・生活・文化と深く関係してい
て言語を失うことはそれらを失うことでもあります。
日本の四季と俳句、食料と出世魚、イヌイットの雪
の表現などは理解・輸出が難しいですね。
単語・類語・関連語など語根・語源・語族などを辿
ることは生活・観念・思想などと深く関連していて
面白いですね。スターンの語根はstaaだそうですが、
サンスクリット語のsthaana (場所)と直接関係して、
英語のstand (立つ所・物), state, status, stage,
stance, statue, station, steed (家畜生産地:「沢山」
の意味発生の可能性)などが派生語で、constant,
cost, stanza, extant, exist, consist, assist, resist,
restore, store, steer, stake, metastasis, prostate,
epistemology, system, sthavira (Skt.: thera: Pali:
長老, cf. Sthavira-vaada, Thera-vaada:上座仏教)
など皆この語根から派生したものだそうです。
インドをHindu-staanと言いますがHinduはSindhu
(仏典では身毒・天竺と音訳)(Indus Valley)からの
もので、印欧語ではhを発音せずIndus, Indiaなどが
派生しました。Pakistaanはpaak (pure)からで普通
その地の住人(民族)と結合する-staanとは違うと
いうことです(その周辺の人々の自然発生的な呼び
名ではなく、インドからの分離独立運動の自国に命
名したものですね)。
魯参
ーーーーー
魯参さん、
ありがとう!
おかげで、老生の古びた脳が新鮮さをとりもどしたようです。
《帝国主義・金儲けの為に地方文化・命重視が失われ
る為に言語がどんどん無くなっています。言語はそ
の土地・生命・生産・生活・文化と深く関係してい
て言語を失うことはそれらを失うことでもあります。》
このために、これまで、どれほど多くの言語が「消滅させられて」きたかを憶います。
みじかなところでは、アイヌ語への抑圧。「方言」と名づけての「地方語」の撲滅。
琉球語をつかったらスパイとみなされ殺された過去は遠くない。
方言をつかったため重たいバケツを両手にさげて立たされたり
(そういえば、「立たす」っていう体罰をわたしもしょっちゅううけてたなあ。
罪が重いと「校長室前」に立たされる。それを、弟妹の同級生らが
見物に来る。弟妹から恥をかいたって苦情をうけたなあ。)
一方、これに抗するうごきも、近代以降は世界中に根づきつつありますね。
また、これまでみずからの言語を「土語」として卑しめられつづけてきたひとびとが、
自分たちの言語で自分たちの歴史を語るといううごきもあらわれています。
クレオール語という概念が20世紀後半あたりからうまれました。
それまでは「ピジン・イングリッシュ」などといって蔑視されていた、
英語やフランス語やオランダ語の現地民使用言語を、
言語としてみとめようといううごきから形成された概念です。
1970年代に入って、わたしは、ソロモンアイランズの首都ホニアラ(ガダルカナル島にある)
の図書館につとめていた友人から、ガダルカナルの現地語(クレオール)で書かれた
第二次大戦下のガダルカナル戦の歴史を贈ってもらいました。
クレオールで書かれた部分は読めなかったけど、英語の対訳がついていたのでわかった。
あの日米の「死闘」とは、現地民にとっては、まったくかかわりのないことだった。
平和にくらしていた島に、「大日本帝国海軍」の将兵が、いきなり、ことわりもなしに
やってきて、飛行場をつくた。それを奪いに大軍を送りこんだUSと日本軍とのあいだで、
猛烈な死闘がはじまった。
この戦闘を、現地民は、英語に訳すと「Big Death」と呼んでいたという。
つまり、こういうことです。
彼らにとっての戦争とは、たとえば、部落の青年がひとりよその部落民に殺されたら、
その部落の青年を一人殺す。これでおしまい。
ところが、日米の軍人たちの戦闘を見ているとどうにも理解できないことばかりだった。
だいいち、彼らはたがいに相手に「憎しみ」をいだいているとはおもえないのに殺しあっていた。
戦闘を、まるで日常の勤務のようにやっていた。
これは主としてアメリカ軍に関してのことですが、
兵たちは朝、戦場に出勤して、殺す仕事をして、夕刻には家に、といっても、ほんとの家じゃなく、
キャンプではあるけれど、そこに帰って、音楽を聴いたり、歌ったり、踊ったり、映画を観たりしている。
なんともふしぎだった。だって、彼らは憎しみをもたずには戦わなかったから。
憎しみの相手を、ちょうどこちらが殺された数の人数だけ、殺したら、
そこで戦闘は終結するのだったから。
現代戦の本質をみごとに言いあてているなって、わたしは感嘆したおぼえがあります。
しかし、いま問題にしたいのはこの内容ではない。
ガタルカナル戦の当時、彼らはまだ、自分のことばで記録することができなかった。
ところが、戦後、アメリカで大学教育を受けた原住民の歴史家が、60年代後半になって、
故郷にかえり、古老たちから、ガダルカナル戦の記憶を聴きだして歴史書にまとめたのです。
そのさい彼は、意識的にクレオール語を使用した。
自分たちのことばで自分たちの歴史を書きのこすのだという気概からだ。
フランツ・ファノンはフランスの植民地アンティル諸島でうまれそだった。
そこでつかっていたのはフランス語だった。フランス語でしかなかった。
長じてのち、マルセイユの大学で医学をまなんでいたとき、
あるフランス人ら、あなたはじょうずにフランス語をはなしますねとほめられた。
そのときはじめて、かれは、自分がフランス人ではないこと、
自分の皮膚は黒いのだということを自覚した。
しかし、自分が感じたこと考えたことを書きしるす言語として、
彼はフランス語以外にはもちえないでいた。
アルジェリア戦争にみずから従軍し、精神科医として、民族解放戦線の闘士たちですら
PTSDに苦しまずにはいられないという深刻な事実を体験し、
やがて『地に呪われたる者(les damnés de la terre)」ほかの作品をうみだしたときも、
つかったのはフランス語だった。
この書を、わたしは翻訳者浦野衣子の傍らで、志願して翻訳をてつだった(フランス語に
熟達しているわけでもないにに、無謀にも!)、その体験を通して、わかったことがある。
ファノンは、世界一美しいと言われているフランス語をわざとこわして、独特の文体を
つくりあげている。しかし、それは、たしかに、すばらしいフランス語になっているのです。
この体験から、わたしは、在日の朝鮮人作家たちの「日本語」とのかかわりに
深く惹かれることになり、彼らにとっての日本語とはなにかについて考えることになるのです。
そこには、ひとつの深刻な体験がひそんでいます。
1947~48年のころ、わたしは中国人による大連市政府のもとで、日本人教師による
日本語での民族教育をほどこす学校に通っていたのですが、そこでの科学教育に不満をもった
父が、旅順工大時代の同僚の教授ふたりをまきこんで、私塾をひらきました。
たまたま、わたしの父が物理学、わたしの親友の父が化学、もうひとりの友人の父が冶金学の
教授だったので、わたしら3人は、物理と化学と鉱物学の専門的な講義を受けていました。
そこへ、どこからどう知ったのか、あるとき、金韓民(キム・ハンミン)という朝鮮人の青年が、父に直談判しに
やってきた。わたしも講座に参加させてほしいという。
ことわるわけなどないから、即座に承諾されて、以後、4人での受講がはじまって。
同席してみると、この青年の学力は目を見張らせるものだった。
わたしと彼とはじきになかよしになった。
あるとき、彼が自宅に招待してくれた。
通された部屋の壁に、古びた写真が飾ってあった。
彼のおじいさんの写真だった。その祖父について、彼がおもむろにはなしてくれたことによって、
はじめて、わたしは、いわゆる「万歳事件」と呼ばれる「三・一」蜂起のことを知った。
おじいさんはその民族蜂起に参加し、憲兵にとらえられて処刑されていた。
彼は、むろん、わたしを信頼したからこそ、こんなうちあけばなしをしてくれたのだった。
わたしは、なんにも知らなかったのだとうことをおもいしらされた。
「大日本帝国」という夜郎自大な名称を名乗っていた国家が
朝鮮でなにをしていたのか。完璧に無知だった、このことに関しては。
無知をはげしく恥じた。
このとき彼がわたしにかたってくれたこの物語に彼が使用していたのは
朝鮮語ではなく日本語だった!
そのことを、わたしが自覚するのに、それから十年あまりの年月を要した。
むろん、その時点でのわたしに朝鮮語で語ったとしても、わたしは理解しえなかった。
金くんはそのことを承知していたから、日本語で語ったのだ。
それも、完璧な発音と抑揚で。
在日の作家たち、とりわけ金時鐘(キム・シジョン)と金石範(キム・ソッポム)の二人の
作家に傾倒するようになったのには、このような恥の記憶があったからです。
ついでに、わたし自身の恥のを、痛恨のおもいで、もうひとつ、紹介しておきます。
「国民学校初等科」の教科書に徳坤少年の「美談」が掲載されていました。
台湾を大地震がおそったとき、徳坤少年は重傷を負い、病院にjかつぎこまれましたが、
あらゆる手当もむなしく、息をひきとります。
その臨終のときまで、彼は、「国語」(この尊大な表現は「日本語」を意味します)だけを
口にして、台湾語はつかわず、最期に「テンノウヘイカ、バンザイ!」と言って息をひきとった。
こういう「美談」が、「美しい文章」で物語られていた。
わたしは、感動して、涙までながした。
このときのわたしには、「大日本帝国」が台湾で「国語=日本語」を「普及」するという「大事業」を
おこなった結果、こどもたちは、表では日本語で、家のなかでは、台湾のそれぞれの民族語ではなすという
二重生活を余儀なくされていたことなど、まったく知らなかった。
わたしは、いまなお、この教科書のこの文章を書いた作家(たぶん、日本浪漫派の)を
ゆるせない。わたしをあのように感動させ、日本語を、そうであってはならないしかたで愛さしめて
その元兇を。
じつはアルフォンス・ドーデの「最期の授業(La dernière Classe)」についても、
わたしの恥の記憶にかかわることを語ろうとおもっていたのですが、
いまは、やめておきます。
それほど単純なはなしではないとわかったからです。
戦時中にわたしを感動させた歌についても、それを作曲した音楽家について
くわしくしらべて糾弾したこともありましたが、そのことについてもまたいつか。
ひこ

 

ーーーーー

註1:下記に世界遊牧民ゲームのフェースブックの公式サイトがあり写真・動画など見れます:

https://www.facebook.com/WorldNomadGamesIII/

註2:

中央アジアのマップMaps of Central Asia

マップ編で,スケッチマップとグーグルマップの2種載せました.それぞれ中央アジア5カ国カザフスタン,トルクメニスタン,キルギス,タジキスタン,ウズベキスタンの中の訪問地を記しました.下のスケッチマップでは,PCまたは大きなタブレット使用の場合,丸をクリックしますとそのページにジャンプします

CentralAsiaMap
アルマトイ/Almaty ビシケク/Bishkek イシククル湖/Issykkul タラス川/Talas ウルゲンチ/Urganch ヒワ/Khiva クフナウルゲンチ/KunyaUrgench アシハバード/Ashgabat マリィ/Mary メルブ遺跡/Merv トルクメンアバード/Turkmenabad ブハラ/Bukhara シャフリサブス/Shahrisabz サマルカンド/Samarkand ペンジケント/Penjikent タシケント/Tashkent

空色は空路,紺色はバスのルート


中央アジアのグーグルマップ

グーグルマップ上に訪問した土地を示すと下のようになります.風船の中の地名クリックで該当ページにジャンプします.(地図と写真がみれます):

 

Map data ©2018 Google, ORION-ME, SK telecom, ZENRIN

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Map
Satellite

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