未来・平和な郷(くに)を創るのは一人ひとり

みなさん

 

こんにちは。

自民党総裁選もですが、沖縄県知事選も日本のゆくすえを問う

本当に大事な分かれ目だと思っています。

私は、沖縄県知事選候補の玉城デニーさんを応援します。

(ささかかな応援としてイラスト描いてみました)

下記はデニーさんのホームページのよきかわいいです。

感動しました〜

 

「いま沖縄は大きく変貌を遂げようとしています。

日本の最南端の一地方から、

世界中から人の集まる国際都市へ。

基地負担を一方的に押しつけた島から、

古来からの琉球文化が花開く、平和を希求する島へ。

時代が変わるのなら、沖縄の政治も変わらないければ。

これからの沖縄には、無限の可能性があります。

沖縄が沖縄らしく。

一人ひとりが自分で分けます。

誇りある豊かな沖縄を。

ウチナーンチュの伝統と文化を継承し、

多様な個性が輝く、新時代の沖縄へ。

玉城デニーは、県民一人ひとりの可能性を引き出すことで、

誇りある豊かな沖縄を実体します。

「わたしてまかせてくれ」とは言いません。

新時代の沖縄をつくるのはあなたです。」

 

ここに書かれている「沖縄」ということを「日本」や、それぞれのもの

町名に変えてみて読んでほしい、思います。

それがされた町を未来を、平和を希求する島をつくるは、候補

ではない、私たちはひとりひとり、なのですから。

(転送歓迎です)

 

西岡由香

 

デニーさん4.jpg

 

 

ーーーーーー

ゆかさん、みなさん

自民党総裁選などまったくどうでもいいのですが、

そのどうでもいいことに、わたしたちの運命が左右されるのです、

いくら業腹だとしても。

沖縄の知事選はそれ以上に、わたしたちひとりひとりの姿勢を問うている。

しかし、「本土」にくらすひとびとの大多数は、知事選があることすらしらないでしょう。

マザー・テレサが言いました、愛の反対語は憎しみではない、無関心なのです、と。

「本土」の「御用新聞」によると、沖縄に対するヤマトンチュのしうちを実感しない世代が

ふえてきたそうです。わかものだけじゃない、「生活」に「だけ」関心のある「住民」が

どこにでもいることを奇貨として、自民党政権は、いま、ここ沖縄でも、

札束でほっぺたをひっぱたくやりくちをとろうとしている。

瀬長さんが辺野古をこわすなといって「抵抗」したからたいって、政府は、

本来出さねばならなかったはずのオカネを出さなかった。

いま、かれらの推薦する候補が知事になったら、オカネをばらまくと公言している。

かつて岩国でやった手法です。

もうひとつ。

基地の問題、とりわけ辺野古の海のことについては口を閉ざす。

本来の、もっとも根本的な争点を隠す、そらす。

これほど卑劣な「作戦」がまたとあろうか?!

いま岐路に立っているのは沖縄だけじゃない。

「本土」にくらすわたしたちをふくめて、日本国にくらすすべてのひとびとの未来が、

ここでどの道をとるかにかかっている。

法的にこのわたしは沖縄知事選で投票する権利はもっていない、けど、

だからわたしにカンケイナイことではゼッタイニない。

できることは、すべて、やりましょう。

できないことだとおもっても、なにか工夫して、ほんとうに

沖縄の海と大地を、沖縄のくらしと文化をももりそだてるひとを

知事に選ぶよう、わたしたちはわたしたちとして、力をつくしましょう。

ゆかさんのむすびのことばは、そっくりそのまま、このわたしの、わたしたちの

ことばです。

《ここに書かれている「沖縄」ということばを「日本」や、それぞれの

町名に変えてみて読んでほしい、と思います。

それぞれの町を、未来を、平和を希求する島をつくるのは、候補者

ではなく、私たちひとりひとり、なのですから。》

ひこ

ーーーーー

みなさま

こんにちは。

魯参さん、ひこさん、いつも私のつたない発信にお返事くださって

本当にうれしいです。もったいない思いです。

このMLに参加しておられる沖縄の井出さんが、SNSで沖縄知事選の

様子を発信しているのを読んでいて、不思議な感覚を覚えています。

デニーさんがギターをかきならしてロックコンサートしながら

みんなで歌ったり、踊ったり、「デニーナイト」と銘打ってみんなで

語り合ったり、とってもノリノリで楽しそう~。

「選挙戦」には違いないのですが、「欲と権力と金と忖度にまみれた土俵」

とは違う土俵で、一人一人が命をほとばしらせている、何て言うんだろう、

デニーさんをきっかけに、「解放区」が生まれてる、そんな感じ。

ふと、石牟礼道子さんの言葉を思い出しました。

水俣病の補償をめぐるチッソとのたたかいで最前線にたち、逮捕もされた

男性が、苦悩の果てに「チッソも含む世界の全てが愛しくなった」という

境地にたったとき、石牟礼さんは彼にこう言ったそうです。

「いのちの世界に、よう戻ってこられましたね」。

沖縄の人々による「選挙戦」とは違う次元の何か――「いのちの世界の発露」

ともいうべきいう歴史的瞬間を、いま目にしている、そんな気がします。

西岡由香

ーーーーー

ゆかさん、

 

井出さんの発信しているSNSってなんでしょう?

わたしも見たいですね。

 

デニーさんってロックの世代だったのですか、なるほど。

わたしはずっと古い世代だけど、その世代からいまにつづくひとたちが

みんなでたのしそうにやってるとき、歌とおどりは完全に融合しているってことは

わかります。

そうですか、こういうやりかたができてるのか。

 

たしかに、そこに現出したのは文字通りの「解放区」だったでしょうね。

政治的な「解放区」ではなく、このことば本来の意味での「解放」区ですね。

こんなふうにたたかえるひとたちはすてきです。

 

もともと、歌とおどりとは、べつべつのものではなかったのですからね。

たのしいとき、かなしいとき、つらいとき、どんなときでも、

感情がたかまってことばが出て、それはいつのまにか歌になっていて、

自然にからだがうごいておどっている。

音楽の原点も文学の原点もそこにある。

 

「欲と権力と金忖度にまみれ」てしまったひとびとにはできないことです。

「いのちの世界」から遠く離れてしまっているからです。

 

ひとが自然のなかのひいきもののひとりとして生きている「いのちの世界」、

これこそが、すべてのひとの原初のすがたなのですね。

 

ひこ

 

ーーーーー

由香さん、みなさん,
この話題はmirokuMLにも大いに関係あること

ですので共有させてもらいます。

デニーさんも沖縄の人達も人生・社会の問題に

直面してこられて得られた人生観・世界観はあ

の中学生の「生きる」に描かれるような南国の

世界であり生命溢れる自然の生き方ではないで

しょうか?私も何度か沖縄を訪れ、たまたま寮

の同室の人が沖縄の人でその縁者・一般人から

歓待を受け、未だ開けていなかった奥の砂浜で

朝まで飲んだりしたことを憶い起こします。命

どう宝という信条は生活の中にあり、生命に溢

れた温かさ・繋がりを感じました。そこには一

体の分かちあう命があり、種族・伝統が違い奪

いあう金・物・力の世界では見られないもので

しょう。

競争・戦争などで引き裂かれた世界では個我が

孤立・疎外・差別・搾取・殺戮に満ちています

が、共生・平和で溶け合う社会(共に友である

共同体)では連帯・融和・平等・博愛・平和が

享受できるのでね。「いのち」が一切を含む大

海のようであればそこにある一切は活発に生き

ているが、一瞬にして消える泡沫では孤立・疎

外で大海の「いのち」の真善美聖(全体健全)

は無く偽悪醜罪(分離病患)が蔓延しています。

群盲撫象(偏見・短見)の喩の通り泡沫は大海

から離れては存続できない(葉は枝から落ちた

ら、いのちを失い、いのちに貢献できない)の

ですね。盲亀浮木の喩の通り折角人間に生まれ

ながら「いのち」の真理・倫理に目を開き本来

の面目を発揮できないのは自他共に情けなく苦

脳の生・命と言うしかないでしょう。

魯参

ーーーーー
ゆかさん、みなさん、こんばんは。沖縄から井出佳代子です。

ゆかさんが今日MLに投稿してくれましたが、いま沖縄では本当にワクワクするような選挙戦が展開されています。私が応援しているのは、8月に急逝された翁長知事の遺志を引き継ぎ、さらに沖縄を次のステージへと進めようとしている玉城(たまき)デニーさんです。デニーさんは衆議院議員(立候補と同時に失効となりました)でありながら、地元でロックバンドのボーカル、そしてラジオのDJとしても活躍され、ゆかさんのご報告にあるように選挙戦でもそんなデニーさんの魅力が伝わる企画が満載なのです。

日々の遊説の他にも今週の金曜日にはデニーさんを応援する若者たちがデニーさんととことん語り合うデニーナイトを企画、また県内各地ではデニーさんにひと目会おうというみなさんが集まって熱気あふれる集会が行われています。本当にデニーさんは人を引きつける魅力にあふれた人です。なんといっても笑顔が素晴らしく、デニーさんの笑顔を見ていると自然に元気と力が湧いてくるのです。

翁長知事の遺志を継ぐというのは言葉で言うほど簡単なことではありません。ある意味、日本政府に殺されたといっても過言でもないほど、沖縄を背負った翁長知事は徹底的にアベ政権に冷遇されました。沖縄県民もその民意を何度も踏みにじられてきました。辺野古新基地建設計画についても大浦湾の埋め立て承認撤回がなされたばかりで、これからの展開も知事の肩にかかってきます。沖縄県知事というのは他のどの自治体よりも過酷な任務を背負う仕事です。デニーさんの覚悟たるや、相当なものだと思います。

それなのに彼のあの軽やかさは何なんだろう?あのたくましさは何なんだろう?私もデニーさんを追いかけ、知れば知るほど、その魅力にとらわれていきます(笑)ゆかさんが「いのちの世界の発露」と書かれましたが、うちなーんちゅの持つ本来の姿がいまデニーさんという一人の人間を通して浮き彫りになってきている、爆発している、そんな瞬間に立ち会えている幸運に感謝せずにはいられません。

相手候補は日本政府が人もお金も丸抱えなのでやりたい放題の選挙ができます。実際選挙情勢は厳しいものです。それでもなお、沖縄県民は明るい方へ、自由な方へ、まっとうな方へと向かっていけるのです。それこそ翁長知事が信じていたうちなーんちゅの底力なのではないかと感じます。

そういえば沖縄戦が終わった時、小那覇舞天(おなはぶーてん)という方が「亡くしたものをいつまでも嘆いていてはいけないよ、死んだ人たちが浮かばれないよ、いま命のあることを感謝しよう」と、「命のお祝いをしよう(ヌチヌグスージサビラ」と三線を弾いて踊り、みんなを元気づけたことを思い出しました。やはり沖縄にはこういう精神があるんだとあらためて感じます。

もちろん結果は出るまでわかりません。でもきっと私たちは望む未来を手に入れられる。そう信じて最後までがんばります。

デニーさんのこと、よろしかったらこのインタビューを読んでみてください。

http://tamakidenny2018.com/interview/

出馬にあたっての動画メッセージ

http://tamakidenny2018.com/#etc-1

リアルタイムでデニーさんの情報を知りたいと思われる方はぜひこちらをフォローしてください。県外から応援コメントをつぶやいていただけるだけでデニーさんの力になります(*^^*)
https://twitter.com/tamakidenny

なお私のSNSというのはFacebookとTwitterです。怒涛のような記事の更新数ですが(^_^;)、沖縄に関心のある方はどうぞリクエストくださいませ。

長くなってすみません。県知事選は13日告示から始まり29日まで、30日は投票日です。もしみなさまの中に沖縄にお知り合いがいらっしゃいましたら、ぜひデニーさんのことを伝えてください。よろしくお願いします。

30日にはみなさんと喜びを分かち合えますように!

井出佳代子

ーーーーー

西岡由香さん、みなさん

 

西岡さんには初めておたよりします。

ひょっとして語らい場「くら」でお目にかかったこともあるのでしょうか?

時々拝見するメールがどこか“調和的”でいつもいい気づきをさせてもらっているような気がしています。

 

対立する相手方への、悪し様な口振での攻撃は、ついには口汚い非難の応酬に堕して互いの品位をおとしめかねませんし、

また互いの憎悪をあおるのみでしょうから、それこそ私たちが目指す「平和世界」とは無縁のモノなのでしょう。

相手への軽蔑感情、まして憎悪や怨念から決して平和は生まれないのだと思います。

 

対立や意見の違いは当然あってしかるべきですが、悪くすると争論が(相手に負けるもんか)、

という互いの虚栄心どうしの争いの様相を呈することは世に多く見受けられる悲しいことでもあります。

 

そんなことをふと思い出させてもらった、西岡さんのメール。

特に、水俣の闘いで激しい?運動で逮捕までされて、

苦悩の末に「チッソも含んで世界のすべてが愛おしくなった」

という男性の話は、何という話でしょう。

この男性、恐らく運動中はそれこそ「口汚く敵を罵り罵倒」されていたのかもしれませんね。

それに対して石牟礼さんの「いのちの世界にようこそ戻って来られましたね」はまた何という言葉でしょう。

そんな、深い深い世界があるのだということをしみじみと感じさせてくれる、そんなエピソードでありました。

 

最後に西岡さん、この話が出ている書籍、あるいは出典は分かりますか?

直接、手にし目に触れさせてみたいという欲求を強く持ちました。

分かりましたらお教えください。

池田

ーーーーー

井出さん、そして、みなさん、

 

井出さん、おひさしゅう。

沖縄のようすを生き生きとつたえてくだすってありがとう!

 

すべて観ました。

デニーさん自身が語っているおいたちは、まさに、米軍占領下、

「本土」と称する「日本国」へのイツワリの「復帰」を生きぬいてきた

ウチナーンチュの生活誌そのものでした。

 

それに、こう語っている玉城デニーさんの、なんと魅力的なことか!

まさん、翁長さんのあとつぎにぴったしです。

そのうえ、デニーさんには、いまを生きているわかい世代を惹きつける

潜在力が感じられます。

ロックシンガーであるからだけではない。

 

「ひとを笑顔にする仕事なら、政治がいちばん大切な役割を担っているはず」。

これは、デニーさんが政治家になろうと決意したときの心境を語ったことばですが、

このことば以上に、政治の本質を言いあてたことばはありません。

 

わたしは、はるかむかしから、政治とはもっとも人間的な行為なのだ、

と主張してきました。

ほとんどだれもがそうはおもっていません。

むりもない。非人間的な、人間を殺す政治ばかりにつきあわさせられてきてるのですから。

 

しかし、政治こそ、「ひとを笑顔にする」役割をになっている、

介護や福祉のしごととまったくおなじ、文字どおり人間が人間にむかいあってするしごと

ではないでしょうか?

デニーさんのステキなところは、おなじこのことを表現するにも「ひとを笑顔にする」といった

直截な、だれにでもすぐにわかって共感しうることばを、自然に口にできることです。

 

市議になって気づいたのは、

自分がもともともっていた「好奇心」や、

なんでも自分でやってみようっていう「独立心」と

ラジオ・パーソナリティ時代に「培った」(このコトバ、ステキ!)現場力、

このみっつが「とても役にたつってことだった、という、lこのことば、

全日本の市町村議会議員さんたちみんなに聞かせたい!

 

とりわけ、「現場力」ということばが活きている。

ながい引用になるとおことわりしたうえで、いまは亡き小田実の文章を紹介しておきます。

 

《南アフリカ共和国の黒人にとっては、ただ通勤すること、通学することが、さっきから私の言い方を

すれば、「現場」だ。(中略)たえず身分証明書の提示を求められ、さまざまな口実でどのような

迫害を受けることになるかも知れない彼らにとっては、白人たちにはただの通勤、通学の途上に

すぎない道路が、そのまま「迫害の現場」ともなれば、「たたかいの現場」ともなる。

道路は、彼、彼女という黒人がそこに出現するまでは、ただの「場」だろう。ただ、その「場」は

「アパルトヘイト」という人種差別を基本にした支配の問題を内在させている「場」だ。その問題は、

何十人、白人が歩こうとも表に出ることはないが、黒人がひとりそこを歩くことによってたちまち

噴出する。そのとき道路はただの「場」から「現場」に転化するのだが、道路は「現場」になることに

よって、その他のあまたの問題――たとえば、権力者による暴力、あるいは、その暴力に対する抵抗、

そうした問題も次から次に立ち現れて来るにちがいない。後者にかかわって言えば、

暴力に対して暴力で抵抗するのか、あくまで非暴力に徹してたたかうのか、という問題にまで、

「現場」が提起して来る問題のふり幅はひろがる。》

 

お断りしておきますが、この文章は、南アフリカ共和国に黒人の大統領が誕生する以前に

書かれたものです。しかし、ここで指摘されていることは、いまなお、世界中のどこであっても

ただちにおこりうる問題にかかわっています。

 

デニーさんの言う「現場力」とは、「現場」という「場」の性質上、いつなにがおこるか

まったく予測できない、どのような自体にも、即座に、その場で対応しうる力のことです。

辺野古の問題ひとつとってもても、こういった「現場力」こそが、

自治体の首長にもっとも必要とされるのだってことはすぐにわかるでしょう。

いちいち中央政府の顔色をうかがい、総理大臣の心情を忖度しているようでは、

予則のできない事態の出来には対応などできるわけがありません。

 

ウチナーンチュらしさとは、

伝統を守りながら、

あたらしいものをとりいれて、

と、ここまでは、まあ、言えないひともいないかもしれないけど、

それを、どういうしかたでやるのかについて、

「柔軟に」と「たくましく」とをぴたっと両立させて、

「変化していく」の副詞句とした、

これは、このひとでなければできないことだって感じました。

 

そして最後に、きめのひとこと。

「分断」を「強いられる」時代はもうおわりました。

「分断されている」ではなく「強いられる」と、ことの本質を正確に指示したうえで、

「県民みんな」が「誇りをもって」、未来へむけて、ともに進もうと呼びかける。

 

こんな政治家、はじめて出会った、といっては不正確だなって気づいたので、

「このところ」という副詞をつけておきますが、

ほんとうに、こういうひとを沖縄の知事に選ばないでどうするの?!

 

わたしは、SNSにはほとんど無能力です。

MLへの発信ならできますが。

わたしのこのおもいも、だから、どなたか適当なところへ転送してね。

ひこ

 

ーーーーー

 

池田さん、西岡由香さん、みなさん

春田と申します。

古川さんのお宅のくら七世代で開催されている

「憲法かたらいば」に毎月通っています。

2005年に、友人から「かたらいば」の前身の「憲法サークル」に

誘ってもらい、以降古川さんはじめメンバーの方たちと共に活動して

まいりました。

一昨年11月、やはりくら七世代で開催された「和田重正に学ぶ会」研修会に、

1日だけ参加しました。

そのご縁でこのmirokuのMLに加入させていただいています。

宜しくお願いいたします。

西岡さんがjumpのMLで紹介された以下のことですが…

ふと、石牟礼道子さんの言葉を思い出しました。

水俣病の補償をめぐるチッソとのたたかいで最前線にたち、逮捕もされた

男性が、苦悩の果てに「チッソも含む世界の全てが愛しくなった」という

境地にたったとき、石牟礼さんは彼にこう言ったそうです。

「いのちの世界に、よう戻ってこられましたね」。

違っていたらすみません。

私が5月8日にこのMLに投稿した内容が

お目に留まったのではないでしょうか?

もしそうならうれしいです。

念のため、その時の投稿を添付しておきます。

その男性は緒方正人さんという水俣の漁師さんです。

緒方さんの著書『チッソは私であった』に詳しいことが書かれているのですが、

絶版らしくて、アマゾンでは古本がめちゃくちゃ高く売られています。

https://www.amazon.co.jp/チッソは私であった-緒方-正人/dp/4751208187

こちらのブログでも緒方さんのことを紹介されています。

http://hibihiko-ya.hatenadiary.jp/entry/2018/04/23/223859

この男性、恐らく運動中はそれこそ「口汚く敵を罵り罵倒」されていたのかもしれませんね。

そういうこともあったかもしれませんが、

訴訟で勝ったとしても、得るものは手切れ金のようなものだけ。

なんでもお金で片付けるシステムに加担することに耐えられなく

なったのではと思います。

そこで緒方さんがすごいのは、疑問の矛先を自分に向けたこと。

「被害者」という「名」を脱ぎ捨てて、混沌の中に飛び込むのは

大きな勇気が必要だったと思うのです。

その先の、「チッソを含む世界のすべてが愛おしくなった」なのです。

横からすみませんでした。

でも緒方さんのことを語る機会をいただけて、光栄でございます。

Attachments area

命の世界、緒方

春田さん

 

教えて頂きありがとうございます。

 

以前にも、メールで緒方さんの事を触れていられたとか、、、、。

 

うっかりしておりました、読み飛ばしてしまったようです。

 

詳しく教えて頂き良く分かりました。

 

一介の漁師の青年がこんな世界に到達した、ということに改めて驚き心動かされました。

 

頂いた情報を元に、今少し探求してみようと思っております。

 

本当にありがとうございました。

池田

 

 

 

 

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